あらためてのお話なのですが、私の専門の話です。
今年3月、卒業を間近に控えた卒業生から「今さらなんですけど、先生の専門って何ですか。空間分析とかまちづくりとかそれはそれでわかるんですけど、なんとなくピンと来なくて」と尋ねられました。
まあ、そりゃそうだよなと思いました。自分でも何をやっているのかわからなくなるほど風呂敷を拡げていますから、それに包まれた学生にとってみれば「この風呂敷は何?」と感じざるを得ないかもしれません。
整理整頓が必要かもです。
まあ、そのときに話を戻しますね。そのときに私は自分で自分に確かめるようにこう話しました。「まちというか人間の集団における祈りの空間かな」と。
門前町に生まれたせいかもしれませんし、また自分の名前が仏縁によるからかもしれません。さまざまな経緯から私は宗教や祭(祭祀)に関心を抱くようになりました。一方で、小学校3年生以来の愛読書が『ジャンルジャポニカ万有百科事典 11 政治・経済』というちょっと変わった性向がある子どもであり、その子どもが長じて、紆余曲折を経てその変わった性向をこじらせ、「専門」としているのかもしれません。
博士論文も沖縄における祭祀の空間をテーマにしましたから、おそらくそこが最も探求したい一点なのでありましょう。
いま、私の関心は、沖縄における固有信仰による祈りの空間の分析だけでなく、そこに存在する梵字碑を契機に密教(特に真言密教、その延長線上にある修験)の祈り(加持・祈祷)へと拡大しています。もちろん年齢が年齢ですからライフワークになるでしょう。
私が属するモチベーション行動科学部は人間の行動を科学することを背骨にしていますが、私の研究対象は明確に「祈り」という太古より人類が有している行動へ向かっています。私的な祈りはもちろん、私的な祈りの集積が社会的性格をも規定し、また政治を突き動かすエネルギーにもなることを考えると、まちづくりのハード面だけでなく運営(マネジメント)などのソフト面にも影響を及ぼすことは必定であり、そうした点にも光をあてていきたいものです。
そのような自分にとっての基礎研究を継続しながらも現代的な課題や大学・行政から課せられたミッションをも果たしていくことはもちろんですが。
地域主体の皆さんと学生との商品開発や地域活性化に積極的に関与しながら、ふと自分自身を見つめるために祈りの空間へ身を置き、自らの根源的欲求を確かめています。
そしていつか、このコミュニティにおける祈りの空間とさまざまな地域主体とをつなげてより強靱なコミュニティとなるように汗をかきたいと思っています。
ちなみに、足立区は真言宗のお寺が多いのですが、とくに豊山(ぶざん)派のお寺が多いです。このことは「東の高野山」とも呼ばれる西新井大師(真言宗豊山派)があることと無縁ではないでしょう。
奥の院にて
見えるでしょうか、一筋の御涙を