2019年8月27日火曜日

江戸をゆく 本郷から錦糸町・亀戸まで

今日もまた下町のフィールドワークに。

その地に浸り、歩くなかで見えてくるものがある…この方法は、沖縄FW以来、かたくなに守っています。群馬・上州の地は、駅伝でいうと襷(たすき)を渡せる方をようやく見出せたので、「1つの時代が終わった」という感覚が芽生えてきています。

終わらなければ始まらない。
手放さなければ得られない。

そう、上州・群馬の画期を迎え、いま江戸・下町を攻めています。
自分の故郷であればこそ、決まり切ったルートを歩き、道を外さずに生活しているものですが、それを踏み破って彷徨するなかで、道に迷ってこそ初めて見る光景に出会えたりします。こんな近くにこんなものがあったのか、と。

今日はまず本郷で蕎麦。
僕は田舎蕎麦を胡麻だれで
連れの揚げ茄子のおろし蕎麦も美味しそう

その後、本郷台地を下って、昌平橋、万世橋を脇目に、靖国通りに出てあとは千葉への一本道。いわゆる「黄色い電車」、総武線に沿って歩きます。アキバの電気街を抜けて、浅草橋近辺の問屋街を冷やかして歩けば隅田川。両国橋を渡ります。


武蔵国、下総国、2つの国を結ぶ橋だから「両国」橋なんですよね。
隅田川の水面、きったねぇと思いますが、親父の代はここから飛び込んで遊んだと聞きました。戦後の高度経済成長期前後に隅田川は最も汚れ、いまはその頃よりは良いというものの、さすがに泳ぐ気にはなれませんや。

大銀杏を結ったお相撲さんの姿をちらほら見ながらさらにひんがしへ。

錦糸町。

ここのマルイで来年ウチのゼミに来るであろう若い衆がバイトをしているので、さすがに冷やかしで寄るわけにもいかず、さらに東へ進んで亀戸。ここで一服。

東京でいちばんローカル度が高いと述べても過言ではない東武亀戸線に乗り、曳舟で乗り換え。そして研究室へ。

FWのメモをまとめていると、お向かいの同僚研究者が「味久いかなーい?」と。味久の刺身は絶品で二つ返事で「いくいく!」といいたいところをぐっとガマン。仕事と先約があるのでゴメンゴメンと丁重に、次にも誘ってねと。

メモをまとめながら、ブログを書き綴っております。

2019年8月21日水曜日

『これだけ覚える 教職教養'21』が出版されます

分担執筆、監修に関わった『これだけ覚える教員採用試験 教職教養'21』が刊行されます。

コンパクトなサイズに教員採用試験・教職教養、あるいは公務員試験専門科目・教育学に必要な知識が精選されて記載されています。

下記のブログはこの本を使っていただいて合格された方の合格体験記ですが、関わった者としてとても嬉しいお言葉でした。ありがとうございました。

「小学校教員資格認定試験 合格体験記」

コンパクト!
常に持ち歩いて勉強できますよ!

地域資源を観光資源へ

足立区における本学の協働・協創が区の広報に掲載されました。

この取り組みは地域資源を観光資源化するプロセスとして位置づけられるものです。学生たちはこの活動を通じて、自らのキャリアの方向性を見定めていきました。

うちのゼミの学生も!
田中社長、いつもありがとうございます!

本学の公式サイトでも紹介されています。
https://www.tokyomirai.ac.jp/news/news/20190808-01.html


2019年8月19日月曜日

持続可能なまちづくりのために 足立区の取り組み

今日の東京は曇。
朝から涼しく(昨日、一昨日よりは)、川っぷちには蜻蛉も舞っていて、何やらかすかに秋の気配がします。

さて、本学は足立区がNPO足立フォーラム21と協働で取り組む、学生の地域活動プラットフォームに参画しています。

これは持続可能な足立区を目指して、区内の在学生(特に大学など高等教育機関の学生さん)に足立区のことをよく知ってもらい、地域課題などに積極的に取り組む活動の場を設け、区に対する愛着を育むことを目的としています。

森下の流儀で表現するなら、ひとを知り、ものを知り、ことを知るということになり、
なじむ =(ヒト、モノ、コトを)知る、受け入れる、全面的受容の段階
かかわる=なじんだものに積極的に関わり
ふかめる=量的にも質的にも関わりを深め
みつける=地域課題を見出す
「な・か・ふ・み」の第1段階になります。これを1〜2年生の段階で履行するよう推奨しています。

区内在学生の最も関心があるところであろうということで、昨年度から、自らのキャリア選択のために区内企業を知るための、バスツアー、就業体験の機会を設けています。これが予想を超えて評判がいいんです。インターンシップほど堅苦しくなく、形骸化していない、経営者がひょいと出てきて経営理念や社史などを語ってくれる…日本の企業のリアル(ほとんどが中小企業で、大企業なんてごくごく一部ですから!)がわかるんです。

でもこれ、学生のためだけのプロジェクトじゃないんです。区内企業の皆さんも区内大学生の実体を知るという貴重な機会で、知った上で「若い人の感性をものづくりに活かしたい」など学生との協働・協創への意志が育まれるんです。実際、昨年度の就業体験からスピン・アウトして、新しいカードゲームの商品開発が進行しており、この秋に発売される予定になっています。

このようなプロジェクトが、前地域連携センター長に土台を固めていただいたおかげで、今年は円滑に進行しています。些少の問題はありますが、走りながら考えていけばいいくらいの小ささです。

今日、今年度のバスツアーの第一陣が出発しました。
事務方とお見送りし、いまは研究室でこのブログを書いています。みんな、気をつけていっといで!

ワゴン車に乗り込む学生たち
まだ背中が頼りなさげ でもきっと大きく育つ(はず)

2019年8月15日木曜日

8月15日敗戦の日【増補】

今日は「終戦記念日」
でも本当は敗戦の日。わが家は東京大空襲で多くの親族を亡くしたため、8月15日、この日は祖母が語り残した「ああ、もう夜に逃げ惑ったりせず、ゆっくり寝られると安心したのよ」という思い、平和の尊さを思う、原点回帰の日でもあります。

そんな家族史という視点から、僕は、あの戦争を指導した人たちは誤った選択をしたと思いますし、全体主義への道を開いてしまった大日本帝国憲法体制下のシステムに欠陥があったと考えています。もっとうまいやり方があったはず。

こうしたケーススタディを歴史教育にぜひ取り入れて行くべきだと思うのです。状況設定は、1931年満州事変直前でも、1941年真珠湾奇襲直前でもいい。日本を巡る状況をデータとして児童・生徒に渡し、あなたなら戦争に踏み切ったかを考えさせていくというように。こうした実証主義的なアプローチなく、理念的な平和教育をしたところで、リリックな愛国を謳われれば、大きな力によっていとも簡単に上書きされてしまうものです。

未来を担う子どもらに、彼我の戦力差をはじめとするデータを渡し、ロジスティクスなくして戦線を拡大することの愚かさを可視化すれば、極めて合理主義的な思考を持つ彼らは気づくはずです。なんてバカな選択をしたのか、と。いわゆる戦争責任は、感情としてのそれではなく、合理性を無視した選択をしたことにあります。

会ったことのない祖父、叔父、叔母。祖父の遺体は焼夷弾で損傷が激しくて誰かわからず、ほとんど焼け焦げた愛用品で祖父であろうと判別したそうです。その人々が眠る地に今日はてくてくと歩いてやってきました。

父祖の地で回向をするために。
家族史という肉親によって物語られたリアルな記憶(決して官製の「歴史」ではない)のなかで敗戦の日を迎えるために。

皆さんはどんな8月15日ですか?
あの戦争とかかわる記憶を大切にしてくださることを切に願います。教科書に記載される「歴史」とやらがあやふやになりつつある昨今の日本の状況を危惧しつつ。


江戸の頃は「大川」と呼ばれた隅田川
永代橋の上からスカイツリーを臨む

2019年8月14日水曜日

続報『多文化社会を拓く』

今日の東京下町は雨・曇・晴の繰り返しでジェットコースターのような案配です。台風のせいか風が強いですね。こんな日は職場近くの隅田川まで行って川面を眺めているのが楽しいんです。スカイツリーを向こうに見ながらね。

さて、『多文化社会を拓く』の表紙が決まりました。3案あったのですが、満場一致でこの表紙になりました。

デザイナーさんの手によるものですが、地球はグローバル化と多文化社会の到来を、それを囲むリングはレインボーカラーもどきでdiversityを、それぞれ象徴すると意味づけています。僕が勝手にですよ。デザイナーさんの意図はどこにあるのかわかりません。

裏表紙は、不肖、僕の手によるものです。写真なのですが、沖縄の焼き物(やちむん)のまちとして知られた那覇市壺屋の登り窯を師匠と調査したときに撮影したもので、想いが一杯詰まっている一葉なんです。これはまだ秘密。


すでに後期から教科書採用が決まっています
いいね!


2019年8月13日火曜日

納涼歌舞伎の魅力

今朝方、共著原稿を脱稿し、一息つくために納涼歌舞伎を観に来ています。

いよいよ 伊予柑、出版ですね。構想から一年半、仲良く、でもシビアな共同研究ができたと思います。先輩教員・研究者にひたすらに感謝感謝です。

納涼歌舞伎の『伽羅先代萩』、とても良かったです。七之助の政岡は当たり役として後世に名をかたられるのではないかと思うほどに。

客席からすすり泣く声も。

特に政岡が千松の亡骸に愛おしく語りかけるシーンは必見です。時代を超えてこの社会の文化に浸った者が感じる琴線を刺激します。

幕間で弁当を楽しんだ後は、百物語。
いろんなtradな妖怪が出てきて楽しかったです。

帰路、いろいろと演劇論、歌舞伎論を語りながら、また観ようと。

歌舞伎座の皆さんにリクエスト。
若い世代が気軽に入れる価格設定の日を設けていただきたい。ゼミ生を引き連れてきます。文化論を語ることのできない学生が多くて、ということを最近実感しています。社会全体で若い世代の文化資本の充実を大切にしたいものです。


歌舞伎座のホワイエにて

2019年8月10日土曜日

「閉ざされた和」による和のパラドクス

先輩教員・研究者とともに書き進めてきた共著もほぼ脱稿。

8月末には無事に出版される予定です。

書名は『多文化社会を拓く』 力強い名です。

現代日本社会の多文化化は必然であり、日本の歴史をひもといても多文化共生を常としてきたような。この社会は、他の文化を受け入れ、咀嚼して我がものとするような消化器の強いキャラなのかなと。

この書の中に、昨年の学会で発表した「和のパラドクス」を載せてあるのですが、この出版間際の時期に自ら経験するところとなりました。

調査を引き受けていただいた団体から掲載をお断りする旨の連絡が届いたのです。しかも不躾な内容でね。オコですよ、オコ。

共著者である2人の先輩研究者も、出版社も、経緯を知らせたら怒っていましたよ〜当たり前ですね。

理由は「最初の約束と違う」という趣旨のことなのですが、第1次接触以来のメールを確認してもそのような約束を当初にしたことはなく、一緒に初インタビューをした研究者に聞いても「そんな約束はしていない」とのお言葉。かつインタビューを書き起こした記録を確かめてみても「約束」の事実はないわけで。

そんなお約束していないですよということで、上記のエビデンス・ベースで「お確かめになったらいかがでしょう」と促しても、掲載お断りは決まったこと、今後メールもしないし受け取らない、とのご対応でした。

地域社会はいろいろな方がいますから、こうした人を人と思わないような対応も慣れていますが、はたと思い当たりました。これは和のパラドクスだと。

和のパラドクスは、集団内の和を尊重・強調することにより、集団の価値観に合わない人や集団外の人を遠ざけたり、排除・排撃することを意味します。集団内の秩序(和)を守る身内には甘く、集団外の人を含めてそうでない者には理不尽かつ強く当たってくること(ぜんぜん「和」じゃない)、ありますよね?これ「和のパラドクス」って名づけました。

昨年度の地域マネジメント学会で僕が発表した内容です。とくに、多様性を受容しないで集団内秩序を維持しようとする「閉ざされた和」のなかで起きやすい現象です。

調査対象とした場所はある意味で隔絶された空間、そしてメンバーの同質性。
「閉ざされた和」のなかでの意思決定。

「閉ざされた和」の外の者に対しては排他的・攻撃的になる「和のパラドクス」が出現した!と実感する出来事でした。わが理論の妥当性について典型的な事例が1つ増えたことに「これだよ!これ!」と快哉を叫んでしまいました。この事例は共著に掲載します。

オコはどっかへ行ってしまいました。
怒りを熱いまま保温できないんですよね〜

愛猫チョロ かわいい♪
福岡FWをともにした同僚研究者が大好きなんです

2019年8月9日金曜日

今日はNAGASAKIの日

今日は、74年前に長崎に原子爆弾が投下された日ですね。

広島への原子爆弾の投下について、廣島・ヒロシマ・HIROSHIMAの歴史的な流れのなかで考えたい旨、Twitterで記しました。

長崎についても同じです。

私たちの同じ国に住む人びとの頭上に原子爆弾を投下され、核の火に焼かれ、今なお続く苦しみがあります。しかし、あの戦争はどの国が始めた戦争だったのか、そのことを覚えていなければならないと思うのです。さらにいうなれば、各地の空襲被災や原爆による被災、ひいては敗戦に導いた「政治」についても。

誤った政治によって、この国は亡国の淵に立った。
8月のこの季節はとくにその歴史に思いを馳せる気持ちになります。

No War
No more HIROSHIMA, No more Nagasaki
Love and Peace

今日は蓮がみごとに

2019年8月8日木曜日

卒論の中間発表が終わりました

先日、郭研究室、杉本研究室、金塚研究室と合同で卒業論文中間発表会が開催されました。

各研究室に共通する、和やかな、褒めて育てる雰囲気の中での発表だったので、4年生の皆さん、それほど緊張しないで済んだようですね。卒論それぞれの内容はこの学部にふさわしく多岐に渡っているのですが、わが研究室は、PBL(Project Based Learning)がキャリア発達に与える影響、社会教育による青少年育成の減衰というテーマでの発表でした。

前任校以来、それぞれの学生が最も長く浸かってきたコミュニティ、アソシエーションをテーマに選ぶことが研究室の伝統のようになっているのですが、今年の4年生もそれに倣っているようです。

中間発表は「ちゃんと種を植えて発芽してきたね」を確認し、水やりをどうしたらいいのか、添え木をどうつけるか、そんなことをアドバイスする機会なので、どのように花が咲くのかまだ想像もできませんが、彼らが大輪の花を自ら咲かせるように、卒業へと進ませたいものです。

見上げれば夏から秋に向かう空に
もう立秋ですね@上野公園

2019年8月3日土曜日

「平和の少女像」について

「あいちトリエンナーレ」内の企画展「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれました。

問題になったのは「平和の少女像」です。

「平和の少女像」 〜「ハフィントンポスト」から

僕は韓国の日本大使館前に置かれているこの像があまり好きではありません。玄関開けたら、これが居るっていうのはどうも・・・像そのものより、場所を選べという感覚の方が強いのかな、いずれにせよネガティヴな思いを抱いています。

でも、公権力に携わる者の私見か職権による見解かわからぬコメントや、脅迫などによって、この像の展示が中止に追い込まれることはあってはならないと思います。像は嫌いですが、それが壊されたり、隠されたりするのはもっと嫌ですね。

表現の自由は最大限尊重されるべき自由で、その制約については慎重の上にも慎重を期さねばならないことは、憲法の精神でもあります。また、憲法がどうあっても、精神的自由とはそういう性質をもつものです。

この像が「従軍慰安婦」を象徴していることはこれまでの報道で多くの方が知っていると思います。その事実を否定したい方の「見たくもない」という思いは容易に想像できますが、だからといって「無かった」ことにはできません。

覆われているものであらわれないものはないのです。過去を消すことはできません。

また、見たくなければその像を見るためにあえて自ら足を運ばなければいいだけの話です。

力でねじ伏せるように、この企画を中止に追い込んではなりません。今日、2019年8月3日で中止とのことですが、存続を望みます。この像そのものはどちらかといえば好きではありませんが、それでも表現は自由であった方がいい、そう思います。僕は、論文書きですし、方々で話しますし、表現の自由に守られて仕事をしている者ですから。

この企画展の中止に反対であると、微力ではありますが研究室のブログに記しておきたいと思います。

2019年8月2日金曜日

福井フィールドワークへ向けて

地域コミュニティを研究していると気になるのが「幸福度」ってやつです。
いろいろなところがいろいろなデータを出しているのですが、福井県が数多く登場するんですよね。

以前から気になっていたのですが、いま自分が関心のあるテーマについて福井大学の元同僚に尋ねたところ、ビビビとアンテナに響くものがありましたので、調査計画を立て、単身フィールドワークに赴きます。

まずは県都である福井市に。
暑い夏になりそうです。

もこもこした緑がいい具合に時計塔に
いい構図だなー 今日昼頃の東京未来大