2019年8月3日土曜日

「平和の少女像」について

「あいちトリエンナーレ」内の企画展「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれました。

問題になったのは「平和の少女像」です。

「平和の少女像」 〜「ハフィントンポスト」から

僕は韓国の日本大使館前に置かれているこの像があまり好きではありません。玄関開けたら、これが居るっていうのはどうも・・・像そのものより、場所を選べという感覚の方が強いのかな、いずれにせよネガティヴな思いを抱いています。

でも、公権力に携わる者の私見か職権による見解かわからぬコメントや、脅迫などによって、この像の展示が中止に追い込まれることはあってはならないと思います。像は嫌いですが、それが壊されたり、隠されたりするのはもっと嫌ですね。

表現の自由は最大限尊重されるべき自由で、その制約については慎重の上にも慎重を期さねばならないことは、憲法の精神でもあります。また、憲法がどうあっても、精神的自由とはそういう性質をもつものです。

この像が「従軍慰安婦」を象徴していることはこれまでの報道で多くの方が知っていると思います。その事実を否定したい方の「見たくもない」という思いは容易に想像できますが、だからといって「無かった」ことにはできません。

覆われているものであらわれないものはないのです。過去を消すことはできません。

また、見たくなければその像を見るためにあえて自ら足を運ばなければいいだけの話です。

力でねじ伏せるように、この企画を中止に追い込んではなりません。今日、2019年8月3日で中止とのことですが、存続を望みます。この像そのものはどちらかといえば好きではありませんが、それでも表現は自由であった方がいい、そう思います。僕は、論文書きですし、方々で話しますし、表現の自由に守られて仕事をしている者ですから。

この企画展の中止に反対であると、微力ではありますが研究室のブログに記しておきたいと思います。