2019年8月10日土曜日

「閉ざされた和」による和のパラドクス

先輩教員・研究者とともに書き進めてきた共著もほぼ脱稿。

8月末には無事に出版される予定です。

書名は『多文化社会を拓く』 力強い名です。

現代日本社会の多文化化は必然であり、日本の歴史をひもといても多文化共生を常としてきたような。この社会は、他の文化を受け入れ、咀嚼して我がものとするような消化器の強いキャラなのかなと。

この書の中に、昨年の学会で発表した「和のパラドクス」を載せてあるのですが、この出版間際の時期に自ら経験するところとなりました。

調査を引き受けていただいた団体から掲載をお断りする旨の連絡が届いたのです。しかも不躾な内容でね。オコですよ、オコ。

共著者である2人の先輩研究者も、出版社も、経緯を知らせたら怒っていましたよ〜当たり前ですね。

理由は「最初の約束と違う」という趣旨のことなのですが、第1次接触以来のメールを確認してもそのような約束を当初にしたことはなく、一緒に初インタビューをした研究者に聞いても「そんな約束はしていない」とのお言葉。かつインタビューを書き起こした記録を確かめてみても「約束」の事実はないわけで。

そんなお約束していないですよということで、上記のエビデンス・ベースで「お確かめになったらいかがでしょう」と促しても、掲載お断りは決まったこと、今後メールもしないし受け取らない、とのご対応でした。

地域社会はいろいろな方がいますから、こうした人を人と思わないような対応も慣れていますが、はたと思い当たりました。これは和のパラドクスだと。

和のパラドクスは、集団内の和を尊重・強調することにより、集団の価値観に合わない人や集団外の人を遠ざけたり、排除・排撃することを意味します。集団内の秩序(和)を守る身内には甘く、集団外の人を含めてそうでない者には理不尽かつ強く当たってくること(ぜんぜん「和」じゃない)、ありますよね?これ「和のパラドクス」って名づけました。

昨年度の地域マネジメント学会で僕が発表した内容です。とくに、多様性を受容しないで集団内秩序を維持しようとする「閉ざされた和」のなかで起きやすい現象です。

調査対象とした場所はある意味で隔絶された空間、そしてメンバーの同質性。
「閉ざされた和」のなかでの意思決定。

「閉ざされた和」の外の者に対しては排他的・攻撃的になる「和のパラドクス」が出現した!と実感する出来事でした。わが理論の妥当性について典型的な事例が1つ増えたことに「これだよ!これ!」と快哉を叫んでしまいました。この事例は共著に掲載します。

オコはどっかへ行ってしまいました。
怒りを熱いまま保温できないんですよね〜

愛猫チョロ かわいい♪
福岡FWをともにした同僚研究者が大好きなんです