でも本当は敗戦の日。わが家は東京大空襲で多くの親族を亡くしたため、8月15日、この日は祖母が語り残した「ああ、もう夜に逃げ惑ったりせず、ゆっくり寝られると安心したのよ」という思い、平和の尊さを思う、原点回帰の日でもあります。
そんな家族史という視点から、僕は、あの戦争を指導した人たちは誤った選択をしたと思いますし、全体主義への道を開いてしまった大日本帝国憲法体制下のシステムに欠陥があったと考えています。もっとうまいやり方があったはず。
こうしたケーススタディを歴史教育にぜひ取り入れて行くべきだと思うのです。状況設定は、1931年満州事変直前でも、1941年真珠湾奇襲直前でもいい。日本を巡る状況をデータとして児童・生徒に渡し、あなたなら戦争に踏み切ったかを考えさせていくというように。こうした実証主義的なアプローチなく、理念的な平和教育をしたところで、リリックな愛国を謳われれば、大きな力によっていとも簡単に上書きされてしまうものです。
未来を担う子どもらに、彼我の戦力差をはじめとするデータを渡し、ロジスティクスなくして戦線を拡大することの愚かさを可視化すれば、極めて合理主義的な思考を持つ彼らは気づくはずです。なんてバカな選択をしたのか、と。いわゆる戦争責任は、感情としてのそれではなく、合理性を無視した選択をしたことにあります。
会ったことのない祖父、叔父、叔母。祖父の遺体は焼夷弾で損傷が激しくて誰かわからず、ほとんど焼け焦げた愛用品で祖父であろうと判別したそうです。その人々が眠る地に今日はてくてくと歩いてやってきました。
父祖の地で回向をするために。
家族史という肉親によって物語られたリアルな記憶(決して官製の「歴史」ではない)のなかで敗戦の日を迎えるために。
皆さんはどんな8月15日ですか?
あの戦争とかかわる記憶を大切にしてくださることを切に願います。教科書に記載される「歴史」とやらがあやふやになりつつある昨今の日本の状況を危惧しつつ。
江戸の頃は「大川」と呼ばれた隅田川
永代橋の上からスカイツリーを臨む