コロナ禍。
初夏以来、心身の状態が優れずにご心配をおかけいたしました。最近、少しずつ復調しており、この週末には画期が訪れます。その「治療」により劇的な快復が見込まれます。期待しています。
さて、指導教員の調子が思わしくない間も研究室の学生たちの活躍はめざましいものがあり、まち歩き企画の実践と後輩への継承、地域に根ざす企業による居場所づくりへの参画、商店街との協働への地ならしなど幾つもの活動が行われてきました。このブログにも順次書き起こしていきたいと思います。
またこの沈黙の間に、投稿論文が所属する大学の紀要に掲載されました。高校公民科の新設科目「公共」が強調する「協働」が「強要」とならないか、その参加について生徒が拒むことのできる保障は必須という論旨のものです。自分にとって、社会科・公民科教育に関する論文としては最後のものになるかなと。また不意に書きたくなったら書くことがあるかも知れませんが、当面は休筆。
ライフワークである沖縄の集落の信仰の空間研究を、地理的に台湾から東南アジアへと及ぼし、併せて密教・仏教研究を進めていきながら、大学や足立区で要請されるところの「協働」「共創(足立区では「協創」)」概念を1つには公共政策上の概念として理論化し、これまで以上に実践を重ねたいと考えています。
心身の恢復への契機となったのは、医学もさることながら、自由、放逸かつ高貴?な精神であったように思います。さて、前進。
氷川神社の弁財天さま@北千住
師から弁財天について教わったことを想い出しました