先任教員・研究者との共著で、大学での講義に使うことを意図しています。
私の担当箇所はともかく共著者のおかげで『多文化社会を拓く』(2018年)に増して内容の濃い著作になりました。本屋に並んでおりましたらぜひお手に取ってお読みになってみてください。
前作は『拓く』でした。日本に在住する外国人が増加するさなかに上梓されたわけですが、今回の『紡ぐ』は参議院選で「外国人問題」が争点化されたその年に出版されました。さまざまな意味でタイムリーな教科書になると思います。
沖縄で鍛えられたコミュニティにおける公共空間の調査・研究手法。これを、群馬、そして足立区をはじめとする東京の下町に応用しながら、学生とともに。おもにその活動を記録していきます。
先任教員・研究者との共著で、大学での講義に使うことを意図しています。
私の担当箇所はともかく共著者のおかげで『多文化社会を拓く』(2018年)に増して内容の濃い著作になりました。本屋に並んでおりましたらぜひお手に取ってお読みになってみてください。
前作は『拓く』でした。日本に在住する外国人が増加するさなかに上梓されたわけですが、今回の『紡ぐ』は参議院選で「外国人問題」が争点化されたその年に出版されました。さまざまな意味でタイムリーな教科書になると思います。
目下の参議院選挙で、「外国人問題」が争点としてにわかに浮上している。しかし、それはまるで、人々の目を本質から逸らすために意図的に打ち上げられた、目くらましの花火のようにも映る。私はこれまで、自身のブログで政争の具となりうるテーマを扱うことは避けてきた。だが、コミュニティレベルの多文化共生施策を論じる書籍を近く刊行する立場として、この現状に対し、私見を記しておきたい。
そもそも、日本国籍を持つ者と持たない者との間に生じる軋轢は、今に始まったことではない。それは、あらゆる国に存在する普遍的な課題といえる。問題なのは、今回の選挙で声高に叫ばれる「日本人ファースト」というスローガンが、こうした普遍的な課題を指すのではなく、特定の出自を持つ人々に対する明確な差別と排斥のニュアンスを帯びている点だ。
この不穏な空気は、私が日々接する学生たちの間にも着実に広がりつつある。ゼミの前後、彼らが「外国人問題」を含む政治談義を交わすことも珍しくなくなった。中には、講義でもっと政治的なテーマを扱うよう求める学生さえいる。大学が成田空港と都心を結ぶ沿線に位置するため、駅や車内で出会う外国人観光客の振る舞いに、彼らなりに思うところがあるのだろう。
しかし、彼らの視線の根底にあるのは、単なる文化摩擦ではない。彼らの多くは、学業の傍ら、社員並みの労働を要求されるアルバイトに従事する労働者でもある。海外旅行を楽しむ外国人観光客の姿と、海外旅行など夢のまた夢である自らの日常とを比較し、複雑な感情を抱きうる環境にあることは否めない。
選挙戦の当初、争点の中心は消費税減税をはじめとする経済問題だったはずだ。それがいつの間にか「外国人問題」に重きが置かれていった。こうした排外主義的な感情が燎原の火のごとく燃え広がる背景には、やはり経済の問題、より直接的に言えば「日本国民の貧困化」があることは間違いない。それはまた、円という通貨の価値の相対的な下落であり、諸外国の成長から取り残された日本経済そのものの凋落でもある。
巷では「失われた30年」という言葉が安易に使われる。しかし、この表現は事態を見誤らせる。正確に問われるべきは、「誰が、私たちの30年を失わせたのか」「誰が、私たちが生産した富を奪ったのか」である。その原因を特定し、取り除かなければ、状況が好転することはない。
敢えてもう一度言う。これは「失われた30年」ではない。まぎれもなく「奪われた30年」なのだ。そして、私たちから富を奪ったのは、失政を重ねた為政者であり、その庇護のもとに利益を得てきた者たちに他ならない。特に近年で言えば、アベノミクスが招いた急激な円安は、事実上の「ジャパン・ディスカウント」政策となり、「安い日本」を現出させたことは否定できないだろう。
結果として、かつて我々が「途上国」と呼んだ国々から観光客が大量に押し寄せ、京都をはじめとする観光地は飽和状態に陥り、オーバーツーリズムという深刻な弊害を生んだ。安価な滞在費に惹かれ、中長期的に居住する外国人も増加した。「日本人ファースト」という言葉が、これほどまでに魅力的に響く土壌は、こうして醸成されたのではないか。
かつては外国籍の住民との共生に肯定的だった人々が、自身の経済的な苦境と、豊かに見える外国人との対比から、排外主義というダークサイドに堕ちていくのを目の当たりにするのは、痛恨の極みだ。もしその原因が、彼らを精神的に追い詰めた為政者にあるのだとしたら、その罪は計り知れないほど大きい。
歴史を振り返れば、ごく普通の善良な市民―家庭では良き父親であり、心優しい隣人であった人々―が、特定の集団に対する憎悪に駆られ、ジェノサイドに加担してしまった悲劇がいくつも存在する。私たちは、決してその過ちを繰り返してはならない。その萌芽があるのであれば、断固として断ち切らねばならない。
そのような思いで、私は今回の選挙の一票を投じた。投票終了時刻が迫る中、この考えを書き残しておきたいと思ったのは、来月『多文化社会を紡ぐ』という共著が世に出ることも無関係ではない。
多様な文化が共存する社会の象徴として、日本国内にも美しいモスクが静かに佇んでいる。
昨夏、沖縄・ひめゆり平和祈念資料館を訪れた際に投稿した拙文を今年度6月23日に刊行された『感想文 ひめゆり』(第36号)に掲載していただくことになりました。関係者の皆さまに厚くお礼申し上げます。
以下、全文を掲載させていただきます。退館時、推敲も何もなしに書いた乱文でありますことをお許しください。
「大切に思う人々の連帯の場に」(p.73)
十年ぶりの再訪となりました。時を経ても変わらぬこの空間に敬意を表します。ここに来る前に摩文仁の平和祈念公園をまわってきたのですが、この地が80年前に地獄のような様相を呈していたことは、最大限の想像力を働かせてもイメージすることが困難なほど、沖縄の海と空はおだやかでした。
この平和な今、遺影として飾られている彼女たちが生きていたら、どのような学生生活を送り、どのような未来を切り拓いたか、さぞかし無念だったでしょう。しかし、生き残られた方々がこの施設を遂につくるに至り、戦場で亡くなられた方たちは今一度、生を得たのだと思います。遺影とその最期が記されている空間は圧巻です。その空間に死者たちは再び生き、言葉を得て語りかけるかのように私達に迫ってきます。
集団自決がなかったかのような、あるいは「大義」のなかで沖縄戦が語られる昨今の状況に抗うことは大変エネルギーの要ることではありますが、沖縄に住まずとも、そしてその時代を生きずとも、ひめゆりの心に共感し、この拠点を大切に想う者は少なくないはずです。どうか、その連帯を今後はお願いしたいと思うのです。軍は軍を守るのであり、民衆を守るのは二の次であるということが沖縄戦の教訓です。このひめゆりの心といつまでもつながっていたいと思います。教員のひとりとして、この心を次代へ託すための、自分の持ち場でやるべきことを進めていきたいと思います。
沖縄と私は「離れていてもつながっている」そのような関わりです。また、 今年の夏、学生たちを連れて沖縄に参ります。福島先生、ご覧になっていらっしゃいますか。先生の孫弟子ですよ。
拙文を掲載していただいたことは沖縄の神々からのメッセージでもありましょう。沖縄の人々の自然観に大きな影響を与えたとされる真言宗理解のためのフィールドワークに区切りをつけ、琉球・沖縄研究に立ち返ろうと思います。