2025年7月2日水曜日

『感想文 ひめゆり』第36号に拙稿が掲載されました

昨夏、沖縄・ひめゆり平和祈念資料館を訪れた際に投稿した拙文を今年度6月23日に刊行された『感想文 ひめゆり』(第36号)に掲載していただくことになりました。関係者の皆さまに厚くお礼申し上げます。

以下、全文を掲載させていただきます。退館時、推敲も何もなしに書いた乱文でありますことをお許しください。

「大切に思う人々の連帯の場に」(p.73)

 十年ぶりの再訪となりました。時を経ても変わらぬこの空間に敬意を表します。ここに来る前に摩文仁の平和祈念公園をまわってきたのですが、この地が80年前に地獄のような様相を呈していたことは、最大限の想像力を働かせてもイメージすることが困難なほど、沖縄の海と空はおだやかでした。

 この平和な今、遺影として飾られている彼女たちが生きていたら、どのような学生生活を送り、どのような未来を切り拓いたか、さぞかし無念だったでしょう。しかし、生き残られた方々がこの施設を遂につくるに至り、戦場で亡くなられた方たちは今一度、生を得たのだと思います。遺影とその最期が記されている空間は圧巻です。その空間に死者たちは再び生き、言葉を得て語りかけるかのように私達に迫ってきます。

 集団自決がなかったかのような、あるいは「大義」のなかで沖縄戦が語られる昨今の状況に抗うことは大変エネルギーの要ることではありますが、沖縄に住まずとも、そしてその時代を生きずとも、ひめゆりの心に共感し、この拠点を大切に想う者は少なくないはずです。どうか、その連帯を今後はお願いしたいと思うのです。軍は軍を守るのであり、民衆を守るのは二の次であるということが沖縄戦の教訓です。このひめゆりの心といつまでもつながっていたいと思います。教員のひとりとして、この心を次代へ託すための、自分の持ち場でやるべきことを進めていきたいと思います。
 
『感想文 ひめゆり』第36号 表紙
 

沖縄と私は「離れていてもつながっている」そのような関わりです。また、 今年の夏、学生たちを連れて沖縄に参ります。福島先生、ご覧になっていらっしゃいますか。先生の孫弟子ですよ。

拙文を掲載していただいたことは沖縄の神々からのメッセージでもありましょう。沖縄の人々の自然観に大きな影響を与えたとされる真言宗理解のためのフィールドワークに区切りをつけ、琉球・沖縄研究に立ち返ろうと思います。

2025年6月6日金曜日

東京下町・水の都フィールドワークを実施いたしました

6月に入り、気候が安定している日を選んで、講義科目「都市経営論」を履修する学生とともに、「都市開発・再開発」、「都市観光資源」、「都市交通としての水路」をテーマに、フィールドワークに行ってきました。

私が沖縄を歩き回っていたころは、ビデオ、一眼レフ、レコーダー、コンベックスなどなどなど、重武装でしたが・・・軽いフィールドワークでしたら今やスマホだけでほぼ足りる時代になってしまいました。 学生の皆さん、身軽でいいですね。

 

 
もっともこの土地らしい光景かな

行程は、東京スカイツリー周辺からリバーウォークを渡って浅草に入って路地を散策。さらに隅田川を下って川から見えるまた違った「東京」を眺め、お台場に至るというものでしたが、最後の川下りだけインバウンドの観光客スクラムによって阻まれ、実現できませんでした。残念。楽しみにしていたゼミの学生からはゼミ単独でも実施をの声が上がっていますので、猛暑が一段落したらまた考えましょう。

学生諸君、お疲れさまでした。 

2025年5月18日日曜日

比較文化学会大会で報告してきました

なぜかくも忙しいのか?
金曜日に4限まで講義、その後にひとつ所用を済ませ、岡山までの終電に飛び乗る。今年の学会の始まりはこんな感じでした。大会開催地の高松までは辿り着けずに岡山ステイを選択して、翌朝、高松入りしました。


瀬戸内海の穏やかさ やさしい

朝ごはんの蒲鉾 高松駅で立ち食い おいしい

高松駅エントランス

マリンライナーでやって来た!

学会は理事会から総会、シンポジウムと進むのですが、旧知の皆さんとお目にかかることがなんと楽しく学びになることか。

今大会の発表抄録

今回の私の報告は、消費社会における葬儀の商品化を扱うものでした。いずれ論文に仕上げたいと思っています。来年度かな。

報告終了後は情報交換会で皆さんと懇談させていただく機会を得、私の報告にご臨席いただいた会長から直々にお褒めのお言葉をいただいたり、恩義ある先生から台湾で開催される大会へのお招きを受けるなど、ほんとうに楽しいひとときでした。余談ながらおやめになった会員の方についても話題が広がり、皆さんに笑いの輪が広がりました。

大会をご準備いただいた皆さま、ありがとうございました。

2025年4月5日土曜日

築地にて

築地本願寺。橿原神宮に引き続き伊東忠太先生の作品を見てまわっています。

築地本願寺エントランス

なんとも美しい。
異国情緒あふれる云々の評はよく聞くところですが、この作品の凄みは仏教が外来の宗教であることを見る者に覆い被さるように伝えてくるところです。でも中に入ると「あら?」と拍子抜けするほどのいかにもな真宗らしい荘厳だったり。とはいえ、パイプオルガンがフワァーッと奏でられると、まるでキリスト教の教会にいるような何ともいえないカオスな気持ちに。

私のなかの浄土真宗観は、最も庶民に近く、明治以降、ほぼすべての仏教宗派の僧侶を「真宗化」に導き、社会的な活動・運動に最も熱心な宗派といったところでしょうか。見真大師・親鸞聖人以来、権力ともよく対峙してきましたね。これから阿弥陀信仰そして日本浄土教の核心を学んでいくつもりです。

築地本願寺はそうした精神美とともにあるような気がするのです。南無阿弥陀仏。合掌。

2025年3月31日月曜日

あをによし

奈良県橿原まで行って参りました。
国のはじまりの地と述べても過言ではないでしょう。その地に建つ橿原神宮は、私が学んだ早稲田・建築史研究室の祖でもある伊東忠太先生の手による建築物でもあります。

観光客が飽和し続けている無惨な京都・洛中は立ち寄る気も起きず、一路、奈良を目指して正解でした。学生の頃、ここらへんを歩きまわって素描に明け暮れたフィールドワークの日々を思い起こしながら。西大寺にも寄りたかったのですが、その余裕はなく橿原へ。

桜の盛りは奈良で迎えました

昨年、試練をともにした方をご訪問させていただく旅路の寄り道です。

今後の指針や日々の課題について気持ちを新たに出来たことは、ひとえにご縁によるものと感謝しています。フィールドに向かう気持ちも新たになり、新年度の講義・研究の充実を期したいと思います。そんな2024年度末日でした。

2025年3月26日水曜日

醍醐の桜ならぬ梅

京都の醍醐寺に行って参りました。

「醍醐の桜」で著名なご本山だけに「そろそろかな」と期待して伺ったのですが、つぼみが大きく膨らんでいたものの未だ開花ならずという状態でした。いわば「本不生」、未発の力を感じさせる自然を堪能しました。

いま醍醐寺境内では随所に桜を楽しむことができるような工夫が随所に施されています。この週末には桜を楽しめるかもしれませんね。

 

「これは梅ですか、桜ですか」と問われて答えられず恥

2025年3月19日水曜日

春の雪のあとに

今日の東京は早朝から雷が鳴り響いていました。春雷、春の訪れですね。雷とともに雪が降り、三島由紀夫『豊饒の海 春の雪』を思い起こしました。

冷たい空気のままですが昼過ぎには陽光が射し、切り取った絵だけを見れば「春到来」。

墨堤沿いの八重桜

さて、大学に行けば公共キャリアを目指す学生が集ってきて研究室は勉強部屋に。

 

 本日の研究室

「売り手市場」が続く「就活」は、就職率を競うのではなく、いかに自己実現に寄与しうる職場に就くことができたか、その質を問われる時代になりました。なんでもいいから内定を取って来いという就職指導ではなく、その学生の全人生を見据えたキャリア戦略の策定を手伝い、その初陣としての「就活」でどのように戦術的勝利を得させるかが課題です。それはまた戦略的な勝利に沿うものでなりません。

公共キャリアを担おうと志す学生は、学生生活の早い段階から自らのキャリア開拓と勉学とをつなげながら学生生活を送り、結果として濃い学生生活を送ることがほとんどです。今日、研究室に集った学生も。こうしたゴール設定をして学ぶことの大切さを、本学だけでなく全国の大学で、新入生ガイダンスなどで特に強調してもらいたいと思います。