2025年9月21日日曜日

沖縄フィールドワークを終えました

2泊3日にわたるモチベーション行動科学部・教員学生有志による沖縄フィールドワークを終えました。

参加してくださった先生方、学生の皆さんに深謝申し上げます。

詳細は参加してくださった先生方との共著による報告書に書く予定ですが、内容は沖縄の自然、歴史、生活と文化、産業をテーマとしています。

モチベーション行動科学部は、行動科学を専門とするにも関わらず、講義や演習で「現場」に入るフィールドワークを学ぶ機会がありません。この現状に一石を投じるべくデザイン、実践したのが今回のフィールドワークでした。

実施してみて、成果はもちろんですが、今後の課題も露わになりました。この経験をもとに科目「フィールドワーク」設置を目指したいと思います。

ハイビスカス🌺と沖縄の空

2025年9月14日日曜日

学会で仙台へ 

およそ6年ぶりの開催となった日本比較文化学会関東支部・東北支部の合同例会が仙台市・戦災復興記念館で開催されました。雨。

開会前に戦災の資料展示を拝見しましたが、米軍がよくもまあ日本中を隈なく無差別爆撃をしたものだと戦争中の狂気を改めて感じ取りました。日本も重慶爆撃をやったり、狂気は決して一方的なものではないことは確かなことです。戦災からここまでの復興を遂げた仙台の人々に敬意を。

仙台駅からまっすぐ伸びる青葉通り、大木に育った並木が杜の都と呼ばれるに相応しい情緒を醸し出していました。


例会は新進気鋭の研究者たちの発表が続きました。また質疑応答も「育てる」という視点に立つものが多く、この学会の優しさを感じました。お金や時間を取るだけ取って、何も育てない、何も得させない、そうした学会や大学を経験してきただけに、この学会のこうした伝統は守っていきたいと思っています。

今回は懇親会には出席できず、フィールドワーク先の大阪へ移動。滞在わずか7時間の仙台行でしたが、また来ます。

2025年9月4日木曜日

カンボジア行

カンボジアに行ってきました。

以前、カンボジアを訪れたのは大学院修士課程在学中でしたが、数十年の歳月を経て訪れたカンボジアの発展に目を見張りました。

特にアンコールワットをはじめとする遺跡群はとても懐かしく、同時に、現在、ヒンドゥー教の影響の色濃い密教を考察の対象にしている理由の起点の1つであることを感じ取ることができたり、密教を学んだ結果、アンコールワットの遺跡に対する解釈の深化や新たな発見があったりと実りの多い旅となりました。

旅行中に出会ったカンボジアの人びとの笑顔に癒やされました。もちろんバイヨンの微笑みにも。「微笑みの国」はタイの代名詞のように言われますが、その源流はクメール王朝とその末裔であるカンボジアの人びとにあることを確信する旅でした。

ソビャクさん、チョーダさん、現代カンボジア史理解の深化とアンコールワット再解釈に役立つガイディングをありがとうございました。いずれ「復習」しに参ります。


アンコールワットは立体曼荼羅である 

往事、「建築馬鹿」だった私は、研究室の性格でもありましたが、プノンペン市内には目もくれずにシェムリアップを目指しました。しかし、現地を理解するための方法としてそれはやはり不十分で、3次元的な比較考察の方法をやはり踏むべきであったと痛感した旅でもありました。地理的、歴史的、制度的な比較考察はフィールドワークの基層をなすものとして非常に重要な作業であり、特にこの国で起きたイデオロギーによる自国民虐殺の歴史は欠落させてはいけないことのように思います。私はその知識を本多勝一氏の『検証カンボジア大虐殺』で得ました。若き日に繰り返し読んだ書の一冊です。

あまりにも克明なこの書はツールスレン(S21)やキリングフィールドについて、その地へ行かずともその地へ行って感得しうる感情を醸成してくれます。行く前に、あるいは行った後、どちらでもかまいませんが「予習」「復習」に資するエスノグラフィのお手本のような書です。今では古本でしか入手できないのが大変残念です。

2025年8月22日金曜日

群馬にて

今年も群馬県立女子大学の集中講義に行ってきました。演習系科目なのですが、インプットも必要なだけに演習がなかなかできないジレンマを抱え、集中講義の限界を感じた数日間でした。


烏川 群馬は東京より涼しい


2025年8月6日水曜日

卒業研究中間発表会が開催されました

内容はともかく、その後の前期講義の納会が良かったです。

美味しいピッツァとパスタを食べて


2025年7月29日火曜日

来月、共著『多文化社会を紡ぐ』が出版されます

先任教員・研究者との共著で、大学での講義に使うことを意図しています。

私の担当箇所はともかく共著者のおかげで『多文化社会を拓く』(2018年)に増して内容の濃い著作になりました。本屋に並んでおりましたらぜひお手に取ってお読みになってみてください。 

前作は『拓く』でした。日本に在住する外国人が増加するさなかに上梓されたわけですが、今回の『紡ぐ』は参議院選で「外国人問題」が争点化されたその年に出版されました。さまざまな意味でタイムリーな教科書になると思います。

 

表紙 
ムイスリさん、お世話になりました

 

2025年7月20日日曜日

参院選の「外国人問題」に寄せて―「奪われた30年」の果てに

目下の参議院選挙で、「外国人問題」が争点としてにわかに浮上している。しかし、それはまるで、人々の目を本質から逸らすために意図的に打ち上げられた、目くらましの花火のようにも映る。私はこれまで、自身のブログで政争の具となりうるテーマを扱うことは避けてきた。だが、コミュニティレベルの多文化共生施策を論じる書籍を近く刊行する立場として、この現状に対し、私見を記しておきたい。

「日本人ファースト」という言葉の危うさ

そもそも、日本国籍を持つ者と持たない者との間に生じる軋轢は、今に始まったことではない。それは、あらゆる国に存在する普遍的な課題といえる。問題なのは、今回の選挙で声高に叫ばれる「日本人ファースト」というスローガンが、こうした普遍的な課題を指すのではなく、特定の出自を持つ人々に対する明確な差別と排斥のニュアンスを帯びている点だ。

この不穏な空気は、私が日々接する学生たちの間にも着実に広がりつつある。ゼミの前後、彼らが「外国人問題」を含む政治談義を交わすことも珍しくなくなった。中には、講義でもっと政治的なテーマを扱うよう求める学生さえいる。大学が成田空港と都心を結ぶ沿線に位置するため、駅や車内で出会う外国人観光客の振る舞いに、彼らなりに思うところがあるのだろう。

しかし、彼らの視線の根底にあるのは、単なる文化摩擦ではない。彼らの多くは、学業の傍ら、社員並みの労働を要求されるアルバイトに従事する労働者でもある。海外旅行を楽しむ外国人観光客の姿と、海外旅行など夢のまた夢である自らの日常とを比較し、複雑な感情を抱きうる環境にあることは否めない。

燃え広がる排外主義の背景にあるもの

選挙戦の当初、争点の中心は消費税減税をはじめとする経済問題だったはずだ。それがいつの間にか「外国人問題」に重きが置かれていった。こうした排外主義的な感情が燎原の火のごとく燃え広がる背景には、やはり経済の問題、より直接的に言えば「日本国民の貧困化」があることは間違いない。それはまた、円という通貨の価値の相対的な下落であり、諸外国の成長から取り残された日本経済そのものの凋落でもある。

巷では「失われた30年」という言葉が安易に使われる。しかし、この表現は事態を見誤らせる。正確に問われるべきは、「誰が、私たちの30年を失わせたのか」「誰が、私たちが生産した富を奪ったのか」である。その原因を特定し、取り除かなければ、状況が好転することはない。

敢えてもう一度言う。これは「失われた30年」ではない。まぎれもなく「奪われた30年」なのだ。そして、私たちから富を奪ったのは、失政を重ねた為政者であり、その庇護のもとに利益を得てきた者たちに他ならない。特に近年で言えば、アベノミクスが招いた急激な円安は、事実上の「ジャパン・ディスカウント」政策となり、「安い日本」を現出させたことは否定できないだろう。

結果として、かつて我々が「途上国」と呼んだ国々から観光客が大量に押し寄せ、京都をはじめとする観光地は飽和状態に陥り、オーバーツーリズムという深刻な弊害を生んだ。安価な滞在費に惹かれ、中長期的に居住する外国人も増加した。「日本人ファースト」という言葉が、これほどまでに魅力的に響く土壌は、こうして醸成されたのではないか。

歴史の教訓を、未来への選択に

かつては外国籍の住民との共生に肯定的だった人々が、自身の経済的な苦境と、豊かに見える外国人との対比から、排外主義というダークサイドに堕ちていくのを目の当たりにするのは、痛恨の極みだ。もしその原因が、彼らを精神的に追い詰めた為政者にあるのだとしたら、その罪は計り知れないほど大きい。

歴史を振り返れば、ごく普通の善良な市民―家庭では良き父親であり、心優しい隣人であった人々―が、特定の集団に対する憎悪に駆られ、ジェノサイドに加担してしまった悲劇がいくつも存在する。私たちは、決してその過ちを繰り返してはならない。その萌芽があるのであれば、断固として断ち切らねばならない。

そのような思いで、私は今回の選挙の一票を投じた。投票終了時刻が迫る中、この考えを書き残しておきたいと思ったのは、来月『多文化社会を紡ぐ』という共著が世に出ることも無関係ではない。

 多様な文化が共存する社会の象徴として、日本国内にも美しいモスクが静かに佇んでいる。