本日は午後から学会に。
夕方から地域協働関係の会合を控えていたのでシンポジウムの途中で退席しましたが、タイムリーなテーマで活況を呈していました。
今日は梅雨が明けたとか。
そんな日にジャケットを羽織って練り歩くのは正気の沙汰ではありませんな。クールビズが浸透したというのに、琉球・沖縄ではかりゆしウェアをもって礼節を足るとするというのに、スーツを基準とする規律権力から抜けきっていない自分を呪います。
春に発刊した論文集の抜き刷りをいただいてきました。
沖縄で鍛えられたコミュニティにおける公共空間の調査・研究手法。これを、群馬、足立区をはじめとする東京の下町に応用しながら、学生とともに。おもにその活動を記録していきます。
2018年6月29日金曜日
2018年6月27日水曜日
あだち・千住銘菓プロジェクト キックオフ
昨年の「みらいおこし(雷おこし)プロジェクト」に続く、「あだち・千住銘菓プロジェクト」が始まりました。足立・千住地域の地域資源を盛り込みながら和菓子の創作とそれにともなう地域活性化を狙います。
キックオフ・ミーティングでは、ひので家さんのご主人、足立区、地元金融機関の皆さまと学生幹事が初顔合わせして意見交換を行い、店舗の見学をさせていただきました。
これは私の研究室の所管ではないのですが、本学のさまざまな学生が参加して、地域資源・観光資源の掘り起こし、地域マネジメントを学ぶ機会としています。研究室の学生も参加し、上級生としてリーダーシップを発揮していることもあり、本ブログでも内容を取り上げていきたいと思います。
キックオフ・ミーティングでは、ひので家さんのご主人、足立区、地元金融機関の皆さまと学生幹事が初顔合わせして意見交換を行い、店舗の見学をさせていただきました。
これは私の研究室の所管ではないのですが、本学のさまざまな学生が参加して、地域資源・観光資源の掘り起こし、地域マネジメントを学ぶ機会としています。研究室の学生も参加し、上級生としてリーダーシップを発揮していることもあり、本ブログでも内容を取り上げていきたいと思います。
2018年6月23日土曜日
沖縄慰霊の日
本学と足立区の共催で「観光コースからはずれてみる沖縄 シマの祈りと空間」というテーマでの公開講座を開催しました。
降りしきる雨の中をいらっしゃっていただいたすべての皆さまに厚く感謝申し上げます。
質疑応答で談論風発。終わりの時間をかなり越えても続きましたが、何回も質問していただいた沖縄ご出身のオジイ。他の方にはわからなかったかもしれませんが、私はイントネーションでわかりますよ。「琉音」ともいいます。
オジイが帰り際に「あぁ懐かしぃなぁ」と。
私もオジイの琉音が懐かしくて懐かしくて。
今日、沖縄は梅雨が明けたそうです。
さてフィールドワークの計画を立てなければなりません。今年からは研究室の学生とともに。
降りしきる雨の中をいらっしゃっていただいたすべての皆さまに厚く感謝申し上げます。
質疑応答で談論風発。終わりの時間をかなり越えても続きましたが、何回も質問していただいた沖縄ご出身のオジイ。他の方にはわからなかったかもしれませんが、私はイントネーションでわかりますよ。「琉音」ともいいます。
オジイが帰り際に「あぁ懐かしぃなぁ」と。
私もオジイの琉音が懐かしくて懐かしくて。
今日、沖縄は梅雨が明けたそうです。
さてフィールドワークの計画を立てなければなりません。今年からは研究室の学生とともに。
2018年6月17日日曜日
今週末に迫る沖縄慰霊の日を迎えるにあたって
もう四半世紀以上前のことになります。
私の政治学研究科時代の研究テーマは、その当時でも随分古びたものになっていた、教育内容決定権者は誰なのかという論点を含んでいました。国家教育権説、国民教育権説、双方極端に過ぎ、その折衷として旭川学テ事件判決が位置づけられてきましたが、指導教授だった小林昭三先生からは「これからは共同体(コミュニティ)教育権説になるのでしょうね。あなたひとつその線で書いてみてごらんなさい。」とのお言葉をいただきました。
今はもう新しくなってしまいましたが、3号館の小林先生の研究室で紅茶を入れていただいて、ただひとり論文の指導を受けているときだったと思います。
修論は語るほどもない出来になってしまいましたが、現在の公教育の模様を眺めるとき、先生の慧眼に恐れ入るばかりです。国家だけでも、親・教師だけでもない、コミュニティ(「地域」と言い換えた方がよいかな)が公教育をバックアップするという今を四半世紀前に視ていらっしゃったとは。
先生からいただいたコミュニティの語。
政治学的に、都市計画学的に、社会学的に、さまざまな手法でコミュニティにアプローチしてきましたが、私の人生は小林先生のあの一言によって方向づけられたのだと思います。
また、私のコミュニティ研究に実証主義的な方法を取り入れることが出来たのは福島駿介先生のご指導あっての賜物です。フィールドは沖縄でした。10年余の間、私は沖縄本島の集落に全数調査をかけましたが、沖縄のコミュニティにある公共空間の多くが祈りの場を備えていることに気づき、それを追いかけてきました。今もなお。これからも。
本務校、そして足立区のご支援もあり、今年の沖縄慰霊の日にはこうした祈りの場についての知を共有するかたちでの祈りを捧げたいと思います。沖縄の数多くの聖地を調査しながら、調べたことを必ず多くの方に伝えますと、「騒がしいな」と思っていらっしゃるであろう神々に言い訳してきました。ちょっとやわらかいテーマ・内容なのですが、最後は慰霊の日にふさわしく「命どう宝(命こそ宝)」で〆としたいと考えています。
私の政治学研究科時代の研究テーマは、その当時でも随分古びたものになっていた、教育内容決定権者は誰なのかという論点を含んでいました。国家教育権説、国民教育権説、双方極端に過ぎ、その折衷として旭川学テ事件判決が位置づけられてきましたが、指導教授だった小林昭三先生からは「これからは共同体(コミュニティ)教育権説になるのでしょうね。あなたひとつその線で書いてみてごらんなさい。」とのお言葉をいただきました。
今はもう新しくなってしまいましたが、3号館の小林先生の研究室で紅茶を入れていただいて、ただひとり論文の指導を受けているときだったと思います。
修論は語るほどもない出来になってしまいましたが、現在の公教育の模様を眺めるとき、先生の慧眼に恐れ入るばかりです。国家だけでも、親・教師だけでもない、コミュニティ(「地域」と言い換えた方がよいかな)が公教育をバックアップするという今を四半世紀前に視ていらっしゃったとは。
先生からいただいたコミュニティの語。
政治学的に、都市計画学的に、社会学的に、さまざまな手法でコミュニティにアプローチしてきましたが、私の人生は小林先生のあの一言によって方向づけられたのだと思います。
また、私のコミュニティ研究に実証主義的な方法を取り入れることが出来たのは福島駿介先生のご指導あっての賜物です。フィールドは沖縄でした。10年余の間、私は沖縄本島の集落に全数調査をかけましたが、沖縄のコミュニティにある公共空間の多くが祈りの場を備えていることに気づき、それを追いかけてきました。今もなお。これからも。
本務校、そして足立区のご支援もあり、今年の沖縄慰霊の日にはこうした祈りの場についての知を共有するかたちでの祈りを捧げたいと思います。沖縄の数多くの聖地を調査しながら、調べたことを必ず多くの方に伝えますと、「騒がしいな」と思っていらっしゃるであろう神々に言い訳してきました。ちょっとやわらかいテーマ・内容なのですが、最後は慰霊の日にふさわしく「命どう宝(命こそ宝)」で〆としたいと考えています。
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