もう四半世紀以上前のことになります。
私の政治学研究科時代の研究テーマは、その当時でも随分古びたものになっていた、教育内容決定権者は誰なのかという論点を含んでいました。国家教育権説、国民教育権説、双方極端に過ぎ、その折衷として旭川学テ事件判決が位置づけられてきましたが、指導教授だった小林昭三先生からは「これからは共同体(コミュニティ)教育権説になるのでしょうね。あなたひとつその線で書いてみてごらんなさい。」とのお言葉をいただきました。
今はもう新しくなってしまいましたが、3号館の小林先生の研究室で紅茶を入れていただいて、ただひとり論文の指導を受けているときだったと思います。
修論は語るほどもない出来になってしまいましたが、現在の公教育の模様を眺めるとき、先生の慧眼に恐れ入るばかりです。国家だけでも、親・教師だけでもない、コミュニティ(「地域」と言い換えた方がよいかな)が公教育をバックアップするという今を四半世紀前に視ていらっしゃったとは。
先生からいただいたコミュニティの語。
政治学的に、都市計画学的に、社会学的に、さまざまな手法でコミュニティにアプローチしてきましたが、私の人生は小林先生のあの一言によって方向づけられたのだと思います。
また、私のコミュニティ研究に実証主義的な方法を取り入れることが出来たのは福島駿介先生のご指導あっての賜物です。フィールドは沖縄でした。10年余の間、私は沖縄本島の集落に全数調査をかけましたが、沖縄のコミュニティにある公共空間の多くが祈りの場を備えていることに気づき、それを追いかけてきました。今もなお。これからも。
本務校、そして足立区のご支援もあり、今年の沖縄慰霊の日にはこうした祈りの場についての知を共有するかたちでの祈りを捧げたいと思います。沖縄の数多くの聖地を調査しながら、調べたことを必ず多くの方に伝えますと、「騒がしいな」と思っていらっしゃるであろう神々に言い訳してきました。ちょっとやわらかいテーマ・内容なのですが、最後は慰霊の日にふさわしく「命どう宝(命こそ宝)」で〆としたいと考えています。