シンガポールはイギリスが宝石のように大切にしてきた地ということが、まちを歩くと実感できます。それは数々の教会ばかりでなく、統治の安定を目的とするセグリゲーションの跡をまちに見ることができるからです。
マラッカ海峡を睨む、この地をイギリスは手放したくなかったでしょう。ジブラルタルもそうですが、イギリスはこういう場所が好きですねえ。
セグリゲーションは民族などさまざまに区分される社会集団ごとに居住区域を分離することを意味しますが、中華街だけでなく、インド、アラブなど、シンガポールではそれぞれが見て取れます。民族ごとの区分なので、エスニック・セグリゲーションと表現した方が妥当ですね。イギリス統治は、インドなどのわかりやすい例からわかるように、セグリゲーションをはじめとする、社会集団ごとの分割と差別化、あわよくば対立を仕向けながら、自らに敵意を向けさせないことを旨としていましたね。だからこそ、マレー半島を蹂躙した大日本帝国の敗北後にイギリスが戻ってきたとき、歓呼の声が上がるわけです。
そのイギリスも世界の体勢に従って植民地を放棄し、いまのシンガポール、マレーシアがあるわけですが。
シンガポール、その独立はマレーシアからの追放という失意にまみれた歴史の一側面を持ちます。国家権力が強権をふるわなければ、もしかしたら今のシンガポールはなかったかもしれません。開発独裁の典型という批判はありますが、そのシステムは見事という他はありません。見習うべき点は多々あれど、あまりにもキチキチし過ぎていて、住むならタイの方がいいなあということを改めて実感する滞在でした。
おなじみのマーライオンからベイエリアを臨む