とはいえ、挙行されるべき入学式は無くなり、講義開始日は1ヶ月以上先に。
クラスター化しかねないため、学生たちを大学に呼び入れることもできず、コミュニティ活動もままならない、「例年通り」の春を迎えることはできません。
でも常に「例年通り」であったことを見直す良い機会です。この機会に合理化できるものは合理化してしまうなどね。
日本社会は「慣例」「ならわし」がものごとを推し進める強い力の1つになってしまうと、なかなか他の方に舵を切れないことが起きがちですから。
たとえば、多くの人数を一堂に集めての、式、会議、あるいは出勤。こうしたものがほんとうに必要なのか否か、見つめ直す良い機会だと思うのです。
さて、大学の講義はwebでの講義になります。
学生は「通学」から解放されるでしょう。一方でいわゆる「出席点」はなくなりますけれどもね。
私たち教員も、二度も三度も同じ講義をしなくて済むようになります。
しかしながら、webではどうも機微に触れるところが伝わらない、人と人とが会ってしか行い得ないような、ゼミ、地域・コミュニティでの実践、こうした活動の価値はますます高まる、そんな予感がします。
学生たちもはやく自身が携わってきたコミュニティでのアクティビティに復帰したいでしょう。卒業研究もあるし。
そのためにも、この混乱の果てにあるコミュニティ、地域においても存分な活動をするための準備を怠りなくしていかなければならないのだと思います。
さて、そろりそろりと動かねば。
関三通り商店街 茶匠おくむら園にて