いつもお世話になっている郭教授のゼミと合同フィールドワークへ行ってきました。対象は東京にあるモスク(イスラム教寺院)。総勢16名。途中から学生の団体であることをよくわかっていないオバサンも紛れ込んでの珍道中でしたが、ガイドさんの説明もわかりやすく、施設内でトルコの食文化をわずかですが堪能し、礼拝にも参加してきました。
近年とみに調査研究対象としている密教寺院と、このモスク、いつものことなのですが、堂内の装飾と信仰について深く考えさせられます。像や器はなく、壇もない。権威や権力を象徴するものが何もないのです。
また、個人の信仰の表現についても。
「さあ礼拝の時間だよ、モスクにいらっしゃい」という呼びかけ(アザーン)を朗々と詠唱した後、すぐにスマホをいじりだしてくつろぐ詠唱者の姿が印象的でした。これには学生たちも驚いたようで礼拝後「あれ、いいんですか?」と質問攻めに。やたら儀式ばったり、畏まることが当たり前とされるこの社会の宗教の在りようからの乖離に驚いたようでした。
「いいんだよ。信仰は心の問題だからね」と私。もちろん、ムスリムだって畏怖の念を知らないわけではないですから、時と場合によるのですが。
信者の皆さんの行動を観察していると、それぞれの気持ちで聖地メッカへ向けて祈りを捧げていることがよくわかります。画一的な動きもするけれど、それは全体の構成においては「部分」に過ぎません。寺院における内陣と外陣のような隔ては、イマーム(指導者)と信者の間にはなく、神の前にすべての人は平等という形がモスクのなかに貫かれています。
日本国内のイスラム教信者が増えていると言われています。このモスクのガイドさんの説明にもありました。日本国籍を持つ方のなかに少しずつですがムスリムになる方も増えてきているようです。なぜなのか。その理由はさまざまでしょうが、宗教の「市場化」が後押ししていることは否めないと思います。信仰と金銭との結びつきの強さ、それに対する懐疑といってもいいかもしれません。宗教が「職業」となったとき、労働市場に引きずり出されることは必然であり、その労働に伴う営為により何が得られるのか、コストパフォーマンスが求められることが少なくないように思います。
このモスクの見学に料金は要りません。すべての人を受け入れようとする「気」の清浄さを感じます。
東京ジャーミイ