2014年9月7日日曜日

シティズンシップのためのコミュニティ論その1 シティズンシップとは?

 シティズンシップという言葉を初めて聞く方も多いでしょう。

 日本では「市民性」や「市民としてのあり方」などの言葉が訳語として用いられていることが多いですね。ざっくりいえば、まあそうなんでしょうけれども、これについて経済産業省は結構しっかりした定義を示しています。

 経済産業省の「シティズンシップ教育と経済社会での人々の活躍についての研究会 報告書」によれば、シティズンシップとは「多様な価値観や文化で構成される社会において、個人が自己を守り、自己実現を図るとともに、よりよい社会の実現に寄与するという目的のために、社会の意思決定や運営の過程において、個人としての権利と義務を行使し、多様な関係者と積極的に(アクティブに)関わろうとする資質」としています。

 「多様な価値観や文化で構成される社会」について、現代の日本がこのような社会であることは疑問の余地がないでしょう。日本は、国家が絶対的な価値を説き、国民はそれに従うというような国ではありません。自由で多様な価値観や文化のもとで、相対的な価値観の存在を許容した国としてあります。かつてそうではない時代もありましたが、私たちの先達たちの努力で、日本国憲法のもと、そのような社会の建設を営々と続けてきました。

 「個人が自己を守り、自己実現を図る」とは、個人が自らの権利を知悉し、その権利保障が十全になされた上で、「なりたい自分になる」ということを意味します。誰もなりたくない自分にはなりたくはありません。

 「よりよい社会の実現に寄与する」とは、大小を問わず自分の関わる社会・集団に参加することを示しています。集団論については後述します。

 ここまではまだぼんやりとした理解で構いません。コミュニティ論の全体像を把握できてから、また戻ってきましょう。

 そして大詰めです。
 「社会の意思決定や運営の過程において、個人としての権利と義務を行使し、多様な関係者と積極的に(アクティブに)関わろうとする資質」とは。

 社会や集団にはその社会なり集団としての意思決定をしなければならない時があります。消費税を上げるかどうか、隣の市と合併するかどうか、町内会の会費を100円あげるかどうか、サークルの練習日を何曜日にするか、大きなものから些細なものまで、社会・集団としての意思決定はいくらでもあることがわかります。この部分の重要な点は、シティズンシップは、意思決定の場にいて、賛成・反対などの意思表明をするだけではないことを示しているところです。その「運営の過程」においてとありますから、決定に至る過程にも参加して、自分の意見を表明したり、相手の意見を傾聴したり、といった作業もしなければなりません。

 その際には、個人としての権利・義務を自ら行使し、あるいは他の構成員から行使されるでしょう。そのように人間に揉まれ、議題を揉み上げながら、さまざまな共同体構成員とそれに連なる人々とかかわり、つながっていく資質、それがシティズンシップとであると同報告書では定義されているわけですが、アクティブに関わろうとする資質という点に着目すると、行動力かと早合点してしまいがちですね。

 しかしながら、最終的に行動というかたちに表れるにしても、考える力がなければなりません。考えるためには一定の知識が必要です。「思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」と孔子も言っています(笑)。その知識をもとに、考え、判断し、行動するという切れ目のない力が必要とされるのが、シティズンシップであり、それを育むのがシティズンシップ教育であると、私は考えています。