現在,学生が投稿する論文のチェックをしているのですが,この言葉を使えたら便利だな,という言葉があります。それがタイトルにある「上流東国文化」という言葉です。
よく知られていますが,群馬県には多数の古代遺跡があります。
着任当時に専任教員の車に乗せられて畑のなかを突っ走っているときに小高い丘が見え,「あれなんでしょうねえ?」と聞けば,「古墳ですよ」の返答を聞いたときの衝撃。すぐそこの身近なところに古代があるということはなかなかな地域資源です。
古代において群馬が上国とされ,栄えた理由についてはいくつかありますが,1つには農業生産物の豊かさを挙げることができます。これは先のフィールドワークでも実感したことですが,これでもかと言うくらいの豊かな農産物があります。
群馬県の食料自給率はカロリーベースだとコメの生産が少ないので34%くらいですが,生産額ベースでは92%に達しています(2014年)。同じ「北関東」に分類される茨城や栃木に比べると少ないのですが,農業就業人口や農地面積が茨城,栃木はおろか,千葉や埼玉以下でありながらのこの数字は誇っていいのではないかと思います。土地が豊かな証ではないでしょうか。そうした農産物は流通にのって大消費地である南関東へ多く流れていきます。
また,群馬は利根川水系・荒川水系の上流であり,水も豊かです。
古代文化,農産物の生産地・供給地,自然環境としても水系の上流,さまざまな意味で群馬県は東国の源流として位置づけられるのではないかと思うのです。
現在,東京を中心に南関東は「交換の繁栄」「サービスの繁栄」を謳歌していますが,海に開けたその地域性からすれば道理でありましょう。こうした下流にある南関東に対し,群馬県はその上流にあって,生産物を供給し続けています。財ばかりではなく,人も。戦後,4人もの首相を輩出した群馬県は豊かな人材をも東京に供給しているとも言えましょう。
「なんで就職,東京に出ないの?」という問いに対して学生が答えた言葉。
「だって東京とか,地震ですぐぐらぐら揺れるし,建物もあんなにあって危ないじゃないですか。」
何気なく答えた学生のその言葉の中に群馬という土地に対する揺るぎない安心感を感じました。三方を山に囲まれて南は開けているこの地形は確かに安心感があります。
こうした群馬の特性を「上流東国文化」という語に集約すると使いやすいかなと感じています。
まだまだ練らなければならない語ではありますが,備忘として書き置きます。