それは、教育という作用であったり、その中での公教育における公権力との関係での政治や憲法との関係であったり、コミュニティの機能を強化するための仕掛け(建物や広場)であったり、家族・ジェンダーであったり、まあいろいろなわけです。その一環として、特に公職志望者に対するキャリア開発にも携わってきました。
こうして風呂敷を広げてみると、いろいろありますが、追究しているのはただ一つ、コミュニティのこれまでとこれからについてです。専門って何だろうね?という学際的なところで生きてきました。ボーダーを超える感覚が好きなのかもしれません。
さて、シティズンシップ教育について昨日の学会でも問われましたが、その根幹にある概念は、社会科学を中心とする知識を実際に使えるするための教育と私は捉えています。学校で知ったことを使いまでにかなりタイムラグがあり、または一生使わないこともあるわけですが、そのギャップはなるべく小さくしておいた方がいいでしょう。
よく講義でも使う表現ですが、お箸を使うように平等権を守る・用いる・保障する。知識を知識として保存しておくのではなく、使って使って、考えて考えて、心身の感覚として動かせるように、感覚へ落とし込んでいくことが求められていると思うのです。それがシティズンシップ教育の根っこのところです。
そのトレーニングの場所としてふさわしいのが、まち、コミュニティなのです。学校の中だけでは難しいですから。コミュニティ・デザインの現場でシティズンシップを鍛え、さらにその延長線上にキャリア教育が待っています。
渋川市中央公民館のご厚意で参加させていただいた、HUGは特に公職志望者の胸をときめかせたようです。
研究室はいま、渋川市と新町と2つの研究班が動いていますが、双方ともこれから猛烈に忙しくなります。後期が始まります。
学生諸君が元気にキャンパスに帰ってきてくれることを期待しています。