2017年11月20日月曜日

集まり散じて 

集まり散じて、

わが母校の校歌の一節です。
こう続きます。何も見ないで書けます。
「集まり散じて人は変われど 仰ぐは同じき理想の光
 いざ声そろえて空も轟に 我らが母校の名をば讃えん」

今日、大学時代のサークルの後輩が研究室を訪れてくれたのですが、その子が「集まり散じて、ですね」と会話に母校の校歌の歌詞を織り交ぜたのです。

後輩といっても、学界でのキャリアは上なので先輩。当時からあまり先輩・後輩の意識を持ったことはないので、何が上で下か、お互いどうでもいいところがあります。四半世紀の時を経て、同じ業界で仕事をし、同じ学会に所属するとは思いませんでした。

その学会がつい最近あったのですが、彼女が来ていることに気づかないまま数日を過ごし、帰宅して気づいて慌ててメールしたところ、東京での所用に合わせて私の研究室を訪れてくれたのです。地域連携の詳細について話したり、世間話を織り交ぜたり。そんななかで「集まり散じて」の一言でした。最近、集団における「伝統」について考えることがあり、彼女が呟いた母校の歌詞の一節は大いなるヒントになるような気がします。

あたりまえのことですが、伝統とは創造され、受け継がれるものです。上記の校歌は、私たちの先哲・先輩がつくって唄い、私たちの世代も唄い、まだ見ぬ入学者も神宮球場だけでなく折に触れて唄うようになるものです。

その断片、歌詞の一節によって、はるか四半世紀前のことですら、想い出しながらお互いを慈しみあえる、共同体共通の記憶。「よく覚えているな、そんなこと!」自分が記憶しない記憶をもっている、あの日あの時、あの空間での出来事の共有者。伝統に根ざすアイテムは強烈かつ強靱な絆をつくるのだということを改めて感じました。

「三朝庵覚えてる?」「てんやの向かいだよ」
われらの青春のまち

「懐かしいよな」
「懐かしいですよね」
「『心の故郷』だもんな」
「ホント、そうですよね」

「あれ見よかしこの常磐の杜は
 心の故郷 我らが母校
 集まり散じて 人は変われど
 仰ぐは同じき 理想の光
 いざ声そろえて空も轟に 我らが母校の名をば讃えん」

また2月に会おう。そして来年は母校で学会だよ。
オトボケ久しぶりに行かないか。


画像はわが母校の象徴たる講堂内のランプ