2018年11月11日日曜日

関三まつり、そして桐生へ

昨年から関わっている関三まつりへ向かう道すがら予定表を調べると桐生でのヒアリングが昨日だったことに気づき愕然。

昨日、渋川のワークショップの後に桐生だったのだ。
今日、関三まつりの後だと記憶の中ですり替わっていた。

朝方、お世話になっている先生にお詫びの電話を入れてお昼前から向かうことに。

今年の関三まつりでの活動は<コミュニケーション的行為の増大>を企図。小さなことだがスタッフがネーム・ストラップを身につけて相互に声を掛け合うことで、内集団の論理でしかマネジメントされていないイベントに外集団の意思を伝え、業務内容だけでなく感情の伝達を付加することを狙った。

昨年は商店街の集団と学生集団が恊働はしているものの相互に没交渉。今年はこれを変えてイベントをマネジメントする集団の一体化を図る。 午前しか状況を把握できなかったものの昨年よりは滑り出し上々。

西新井から久喜、そして<りょうもう号>で桐生まで行こうとするも、北越谷でストップ。北春日部で信号故障。運転見合わせ。北越谷の改札を抜けてレンタカーに切り替え。片道100数kmを移動。百折不撓。約束の時間に間に合ったことは救いだった。

中央公民館の館長先生にお詫びを申し上げて案内を乞う。インタビュイーの所属するサークルの皆さんと歓談した後、念願のインタビュー。第1次接点では無理をしない。次につなげられる種を蒔かせてもらえるだけでいい。とても緊張していたインタビュイーもインタビューの最後には自らご家族のお話までされるようになり、次を感じることのできるおとないになった。ひとえに館長先生に感謝。

桐生の優雅。
桐生というまちに漂う雰囲気とそこに住まわれる皆さんを一言でいうなら、優雅あるいは優美。そして懐の深さ。
平安の昔から朝廷に絹を献上していたという文脈がまちの背骨になっているんだなあと。車で訪れてみると、電車で訪れて眺めるまちとはまた趣が異なる貴重なフィールドワークに。


明日から来年度のゼミ生を選抜する面接が始まるが覚悟を問いたい。どっぷり浸かれるかと。そんな面接が通常の仕事の合間を縫ってあり、またぱつぱつなスケジュールな上に来週末も再来週末も「休み」はなし。しかし「休み」があって幸せなのかと自問すれば答えは否。桐生からの帰りは大渋滞に嵌まり、怒ったオウム(「風の谷のナウシカ」)
の大群のような車列のテールランプを見、バッハを聴きながら帰りました。

不幸?
否、幸せ。

桐生市中央公民館に隣接する新川公園の樹々