2017年8月30日水曜日

もう一歩深く足立へ

今日は足立区役所の方からご紹介いただいたお茶屋さんに伺いました。

日本茶を知悉する方に入れていただくお茶はほんとうに美味しく、日本茶の香りのなかで今後の協働についてのイメージを共有しました。

後日、学生がお伺いすることをお約束してお店をあとにしましたが、鼻腔に残る日本茶の香りが清々しく、しばらくその香りを楽しみつつ研究室に戻ったところです。

道中、西新井大師に立ち寄り、このご縁が豊かな実を結ぶよう祈願してきました。もう得度しようかな。


2017年8月25日金曜日

良い出会いに恵まれて

8月24ー25日と第39回全国公民館研究集会群馬県大会に参加して参りました。

第1分科会の指導助言者としての務めを果たして参りましたが、司会(群馬県教育委員会)の方の仕切りと桐生市公民館の皆さま、そして渋川市の方々に支えられての指導助言となりました。群馬ではほんとうに良い出会いをいただける運を持ち合わせているようで、ただただ感謝するばかりです。

指導助言のポイントは持論の2点です。
・多世代交流から多世代共創に向けて高齢者の方に後進を育む力になっていただきたいこと。
・学校/大学は地域資源であり、その力を引き出しながら協働できる力を「地域」が持つこと。

渋川市スポーツクラブの立ち上げの折りにご一緒させていただいた方が発表内容の主人公だったりと、人と人との関わりの密度の濃さに驚くばかりです。

また、発表者の新潟市をはじめ、長野、神奈川、埼玉、東京各地の公民館関係者と情報交換できたことも今後のアクセルになっていくでしょう。

上武の我がゼミの学生とも一緒に仕事ができ、幸福に満ちた2日間でした。

いただいたご縁と出会いをエネルギーに変えて、これからの活動に生かしていきたいと思います。

また明日も学会に出向いて参ります。上武の大先輩教員が発表されるので、その応援です。




2017年8月18日金曜日

学生による浅草仲見世フィールドワーク

本日は雷おこしプロジェクト学生定例会議が開催され、そのまま浅草仲見世へのフィールドワークへ出かけました。

今日はフィールドワークの調査項目の検討だけかと思ったら、ちゃっちゃと非参与観察の分担を決めてぱーっと。まあ電車で15分程度ですからね。東京未来大は下町を攻略するにあたって絶好の位置にあるのだということを改めて納得させられます。

浅草から帰ってきた学生たちは楽しげにフィールドワークのまとめをして先ほど帰宅したところです。私はと言えば、次なるフィールドワークの手順とコラボ可能なお店との恊働のあり方を示しただけで、いやはや頼もしい!



#浅草
#仲見世
#雷おこし

2017年8月17日木曜日

教職講座に参画しています

昨年から監修+新規項目の執筆を手がけている『これだけ覚える教員採用試験 教職教養』の<’19年版>が「責了」となり、肩の荷を少しだけ下ろせました。発刊は8月末か9月かな。

今回は新しい学習指導要領の公示もあり、相当量の加筆になりました。学習指導要領を読むと日本の社会の未来が見える、というのは言い過ぎでしょうか。

私の目下の研究課題として、特に渋川市で実践させていただいている「地域社会と教育・学校」の問題があります。その1つの派生事項として、このような書籍にも携わらせてもらっているのですが、間髪入れずに教職講座が始まり、面接練習という名のキャリア開発に注力しています。学生の発する言葉からその人柄や潜在的な力を読み取り、気づきを与えていく過程はとても楽しいものです。

学生は、まだ自分の未発の可能性に気づいていないことが多く、断片をつなぎ合わせながらそのポテンシャルの総体を示すと、自分自身のことにも関わらず驚くというケースが少なくありません。




2017年8月16日水曜日

日光街道一の宿 千住歴史ウォーク・プロジェクト 一旦中止

同僚教員と、千住を舞台として、学生が街の人びとを巻き込む新たなプロジェクトを立ち上げようと準備していたのですが、阻まれました 笑

標記のタイトルで助成に応募したのですが、今回の助成は「見送り」との連絡をいただくことになりました。ご助力いただいた皆さまに心から感謝申し上げます。雪辱を晴らすべく、再起しますので、今後ともどうぞ応援をよろしくお願いいたします。

プレゼンはまずまずの出来でした。
しかしながら、質疑応答で最後まで噛み合わなかったのは、審査する側が「何を作るのか?」を求めていたのに対して、私たちは「作る過程こそが価値のあること」を示そうとしていたこと、それに尽きると思います。

何かのモニュメントを作る、保存する、そうしたことにお金をかけたいのでしょうが、私たちが志向するまちづくりはそうではなく、人と人とのつながりを創り、再生しながら、まちを育てるコミュニティ・デザイン。

質疑応答でいただいたご質問のなかには、失礼ながら「ちょっとどうかな?」と感じるものもあり、お金をかける対象が違うことを肌身で感じていました。それは同時にエントリーした先輩教員たちも感じていたようでした。まあ、プレゼンの帰途はそんな話で大いに盛り上がりましたが。

私たちが作るものといえば、まち歩きのガイドブックとそのプロセスを記録した書籍。ちっぽけなものです。

でも、それが「成果」ではないのです。
「成果」はそれをつくる過程にあります。
学生やまちの住人や訪れる人が新たな関係を築き、それを継続した営みへ変えてゆくこと、それを私たちは「成果」と考えています。

ガイドブックなんてこれまでに何冊も作っていると思います。
しかし、これまでにつくったガイドブックの制作プロセスで形成された人と人とのつながりは続いているのでしょうか。調査者と調査対象、制作者とコンテンツ提供者、というような関係だけで、モノをつくったら終わりということでは残念ですね。

一緒に創りあげる過程でのつながりが残り、動いていることが肝要です。

たとえば、私は今、中小企業支援で足立区の(株)篠原製菓様と学生と協働での雷おこしの商品開発を手がけていますが、これから新しく創られる雷おこしだけが成果ではなく、その過程での人と人とのつながりを創り、その中で学生を育むことが成果なのです。

また、コミュニティをデザインするとはそういうことでして、モノをつくって終わりではない、ということでアイデンティティを確認。いざ次へ!

スライドを何枚か貼っておきます。








2017年8月15日火曜日

敗戦から72年目の日に

北朝鮮の核開発と政権が作り出す「危機」に際して。

乗せられてはならないとの思いを強くしています。


集団と個の関係を見つめるとき、この国を亡国の寸前まで追い込んだファシズムの基層をなすメンタリティがまだ活きていることを感じざるを得ません。そしてそれは私のなかにもあるのかも知れません。

思うに、ファシズムはうるわしい姿でやってきます。古語にいう「うるわし」、すなわち整然として秩序だった美です。これを美しいと感じる感覚、あるいは学校教育でしみこまされてきた「全体の秩序を個が紊乱すること」へのネガティヴな感覚もそうでしょう。甲子園でプラカードを持った生徒が倒れているにもかかわらず、近くにいる高校球児たちが微動だにせずに整列して秩序を乱さない光景が報道されていましたが、この社会の一断面を示す1つの象徴的な光景のように感じました。高校球児を批判しているのではなく、彼らは私でもあるということについて、自らに発する警鐘として。

ともあれ、敗戦から72年。

どのような考えを持つ方であれ、私たちの共通の思いは、二度とあんなに多くの人が亡くなったり、いたましいことに巻き込まれるようなことがあってはならないということではないでしょうか。私はそれを経験しておらず、親から、祖母から、そしてさまざまな学習から得てきた知識からそうした感性を育てたに過ぎませんが、人類の普遍的な思いに通じるのではないかと思います。

文部省が1947年に作った「新しい憲法の話」では「戦争放棄」として次のように述べています。
「みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。」

立場の違いはどうであれ、原点に立ち返って「今」を考えることが大切なのではないかと思います。「新しい憲法の話」は数ある原点の1つだと思います。そんな思いをあらたに、父祖の地で、東京大空襲で被災してなくなったわが一族に、そしてそれに連なる人びとに祈りを捧げてきました。

敗戦後、祖母ひとりで何人もの子を育てるのにどれだけの苦労があったことか。こうした個人史と昨今の勇まし気な論調を秤にかけてみると、自分の拠るべき価値がどこにあるのかが明らかになります。

命(ぬち)どう宝。
命こそ宝。

こうした琉球・沖縄のアフォリズムがなぜ琴線に触れるのか。沖縄戦と軌を一にするわが一族の歴史があることに気づかされます。




下町のフィールドワーク

正月とお盆は、東京がようやく本来の東京に戻る時でもあります。
地方から出てきた方々が帰省するのでまちが空くんですね。人口減少の果ての東京はかくの如きでしょうか。または「極点社会」という言葉の通り、一極集中は益々進行するのでしょうか、今がその分岐点にあるような気がします。

フィールドワーカーとしては動きやすい今、まちを見に出かけない手はありません。ということで結構な距離を歩きました。今日は台東・墨田・江東を。

台東区を歩くなら、まずは観音様にご挨拶をということで浅草に。
仲見世は今日もよく賑わっていましたね。今度学生たちと再訪するので、仲見世のにぎわいをよそにすすっと横から。

しかし、賽銭箱の前で行列を作って1人とか2人とかで礼拝するのやめてくれないかな。拝めるところが空いていたらさっとやってくれた方が。柏手打ってんじゃないよ、ここ寺だよ。などなどの思いを胸に。

観音様を起点に北上し、白髭橋を渡って亀戸の天神様まで。子どもの時にどれだけ世話になったかわからない病院などを経巡ったり等、脇道にも逸れながら。浅草寺は江戸の鬼門を守るものという見方がありますが、北上すると浅草までのにぎわいが嘘のように静かなまちが広がっています。

しかし、こんなに寺社に関心の対象があるとは思わなかったなあ。

たしかに門前町の生まれだし、神アサギ・トゥンは沖縄の固有信仰の場でもあり、また建築史研究室では日本建築史ゼミ(通称:侠ゼミ)で、ムリヤリ古文書などを読まされたりしていましたが。足元を見つめ直そうとするとき、人は自分が何ものであるかを再認識するようです。

(画像上は浅草寺五重塔、下は白髭橋上からの東京スカイツリー)



2017年8月13日日曜日

深川祭 本祭

今年は3年に一度の本祭りなのでひときわ賑やかに。
「帰省」、お礼参りにフィールドワークを兼ねて。

お礼参りについて。
科学的なものの見方としては単なる「偶然」ということになるのでしょうが、相当な確率を背景としながらも災厄に遭わなかったことについて、神仏の加護を感じてしまうのは、こうした門前町に生まれ、江戸時代以来の験担ぎやらならわしを大切にする環境に育った性分としては仕方のないことのようです。また、R.カイヨワは<聖−俗−遊>という概念を示しましたが、祭を捉えようとするときには便利ですね。改めて、祭と遊について注目しながら見て回ってきました。

祭の熱狂からずいぶん離れてきましたが、八幡さんからお不動さん、次いで墓参りをするというのが、伝えられてきたわが家のならわしなので、今日もそのように。




2017年8月11日金曜日

澄明な空間

沖縄の固有信仰の空間を博士論文のテーマとして選んだからというわけではないのですが、宗教的な空間が好きです。門前町の生まれですし、もともと好きだったのでしょうね。

それは宗教が好きというとりも、人々が長年にわたって大切にしてきた空間のもつ清澄な気が好きだからなのだと思います。とんでもない宗教とか偽善者の集う宗教もありますけれどね。長年その地に根を張っている寺社は特に、それを司る人間がどうであれ、場として貴重な空間だと思うのです。

お参りした神社は約1900年前に創建されたと伝えられ、徳川綱吉公の頃に現在の地に遷座しておよそ300年。いったいどれだけの人々がこの地を訪れて大地を踏み固めていったのだろうと思うと気が遠くなるような気がします。

東京ではまわりのビルに負けじとアクロポリス化する神社も多いのですが、こうして建物がしっかり地面についている方が、大地の鎮めとなり、気が澄んでいるような。

良きことが2つありました。


2017年8月10日木曜日

雷おこしプロジェクト 広報2号完成

昨日の雷おこしプロジェクト学生定例会は、異常な暑さが予報されていたので、延期にしました。夕方は俄雨も強く降り、試験明けの学生に無理をさせなくて良かったと安堵しました。

さて、広報の第2号が出来上がりましたので、関係各位に送付いたしました。


2017年8月4日金曜日

「ジブンと社会をつなぐゼミ」を開催しました

渋川市中央公民館で、8月3日、4日にわたって「ジブンと社会をつなぐゼミ」を開催しました。

これは、昨年2月に私が渋川市に提出した「提言」に基づくものであり、その実践です。公民館に「地域活動の谷」となっている10代後半から20代の世代を引き入れたいとの公民館のニーズを満たすとともに、高校生に豊かな地域活動の拠点である公民館を知って欲しいという私の願いを具体化するものです。

渋川市中央公民館の皆様にはことのほかご尽力いただきましてありがとうございました。学生も交えて食事会なども催していただきまして心から感謝申し上げます。

渋川市は、JR渋川駅前に高校生の自習スペースである「すたでぃばんく」を設置するなど、「居場所づくり」に熱心に取り組んでいる自治体です。しかしながらまだ、地域のポテンシャルを活かせていません。これは、渋川市だけでなく、全国の自治体やコミュニティが抱える問題なのですが・・・新しい学習指導要領で変わっていきますかね?期待していますが、地域が学校の侍者にならないためにも、地域側の準備を猛烈に進めなければならないと思います。その地域の拠点になり得るのが公民館なんです。それができると確信した2日間でした。

この企画については、後日草稿にまとめるつもりでいます。