構想から一年余。
共著書が完成し、納品されました。執筆者に加えていただいた先輩教員・研究者、ムイスリ出版の方々に厚くお礼申し上げます。
日本はもうすでに多文化社会。というかずっと昔からそうだったわけなのですが。
外国人の急激な増加への戸惑いからか、対処の方法が騒がれているようですが、それをどのようにコミュニティでこなしていくのか、本書はその処方箋を示しています。
すでに多文化社会を迎えているコミュニティ、これから迎えるであろうコミュニティ、いずれにもこの書が届いて欲しいと思います。まずは若い世代へ向けて、すでにいくつかの大学で教科書として使われる予定です。
以下、僕が書いた「おわりに」を示し、本書の紹介としたいと思います。
「日本の多文化社会化は必然である。
私たちは古来より、他国との人の往来、文物の交換をなして、この社会を形成してきた。いわゆる『鎖国』の時代にあっても、他国とのつながりは維持し、そのつながりのなかでこの社会を営んできた。大局に立てば、日本は常に多文化社会だったと述べても過言ではなく、それゆえに冒頭で『必然』との言葉を用いた。
いま、『多文化社会』がことさら現代日本の課題のようにいわれているのは、交通・運輸の革命的な発展によって人の往来が爆発的に増え、その量的な拡大に対する対応が急がれているからに過ぎない。『平成』から『令和』への画期に歩みを揃えるように、政府は外国人材の活用へと政策を大胆に切り替えた。私たちは叡智を集めて、この変化を受け容れなければならないだろう。
そのときに顧みたい歴史がある。異なる文化を権力の作用によって浄化あるいは同化してきた歴史だ。特に、アイヌ(ウタリ)の文化や琉球の文化について思いを馳せたい。多様であるべき文化を権力的にマジョリティの文化へ統合するようなことは国際的な人権保障の観点からも許されることではないことを銘記して、この変化を受けとめたいと思う。
本書は専門を異にする三人の研究者によって執筆された。それぞれの専門とする視点から多文化社会を捉えていることから、それぞれの領域の術語が用いられている。多文化社会を捉えるためには常に複合的な視座が必要であり、単一の学問体系のみでは捕捉しきれないことをご理解いただき、学際領域、あるいは他学の術語をも学ぶ、ささやかな努力を読者諸氏にお願いしたいと思う。
知は力であり、言葉は力である。この言葉を前に、読者諸氏とともに、私たちもまた学びを進めていきたいと思う。
2019年6月23日 沖縄慰霊の日に」
裏表紙のシーサーの写真は僕が撮影しました
建築・意匠系出身としてとても嬉しいです