2022年11月13日日曜日

心身恢復のお知らせ

コロナ禍。

初夏以来、心身の状態が優れずにご心配をおかけいたしました。最近、少しずつ復調しており、この週末には画期が訪れます。その「治療」により劇的な快復が見込まれます。期待しています。

さて、指導教員の調子が思わしくない間も研究室の学生たちの活躍はめざましいものがあり、まち歩き企画の実践と後輩への継承、地域に根ざす企業による居場所づくりへの参画、商店街との協働への地ならしなど幾つもの活動が行われてきました。このブログにも順次書き起こしていきたいと思います。

またこの沈黙の間に、投稿論文が所属する大学の紀要に掲載されました。高校公民科の新設科目「公共」が強調する「協働」が「強要」とならないか、その参加について生徒が拒むことのできる保障は必須という論旨のものです。自分にとって、社会科・公民科教育に関する論文としては最後のものになるかなと。また不意に書きたくなったら書くことがあるかも知れませんが、当面は休筆。

ライフワークである沖縄の集落の信仰の空間研究を、地理的に台湾から東南アジアへと及ぼし、併せて密教・仏教研究を進めていきながら、大学や足立区で要請されるところの「協働」「共創(足立区では「協創」)」概念を1つには公共政策上の概念として理論化し、これまで以上に実践を重ねたいと考えています。

心身の恢復への契機となったのは、医学もさることながら、自由、放逸かつ高貴?な精神であったように思います。さて、前進。


氷川神社の弁財天さま@北千住
師から弁財天について教わったことを想い出しました


2022年8月6日土曜日

2022年度 前期講義終了にあたって

長い長い前期(春学期)講義が終わりました。

コロナ禍によって遠隔講義を余儀なくされた2年間を経て、教場に戻ってきた学生の講義に対する期待は大きく、毎回毎回の学生たちの放つ「気」に圧倒されながら、講義準備・講義・リアクションペーパーに対する添削で日々を過ごしていました。本務校だけでなく、非常勤先もね。一週間休みなしで働くことには慣れているつもりでしたが、今年は心底くたびれました。

「講義準備なんて、そんなに大変なのか。毎回同じ内容を教えてるんだろ」と、大学教員ではないが「教師」と呼ばれる人に言われたことがあります。

違うんだなぁ。

同じ内容でも1年変われば語るべき文脈が微妙にずれてきます。世界は動いていますから。

また、一つの術語を解する私自身の感覚も1年で変わります。そして何よりも、教室に集う学生たちが違います。こうした諸要素の変化に合わせて、講義準備・講義をしないとしたら教員としての存在意義はないと思うのです。

あと数日で卒業研究の中間発表がありますが、その週も地域連携先との協議やOCでの模擬講義や成績の算出などなどなど。お盆の終わりを待たずして他所での講義があります。いや、学期が終わっても忙しいですが、心が明鏡止水となるひととき、あるいはそうした心境を目指すひとときを、一日のうちに2回は確保したいと思っています。

今日はHIROSHIMAの日。日が昇らぬうちに祈りを捧げさせていただきました。




2022年7月4日月曜日

仏教における「縁起」と「空」について

最近、コロナ禍で細くなりがちな地域連携活動のなかで「ご縁」を感じることが多くなりました。

一方で、どれだけ深く関わり合っても疎遠になることもあり、無常を感じることもあります。

「ご縁」は「縁起」に連なり、「無常」は「空」につながるのでしょうが、以前、仏教思想における縁起と空について書きまとめたものがあるので、自戒と備忘のために以下に書き残しておこうと思います。仏教をヒントにされたい方はご自由にお使いください。コロナ禍により答のないタスクが増え、仏教の叡智を参考にすることが増えました。

○縁起について

縁起とは、サンスクリット語で「プラティートゥヤ・サムウトパーダpratitya-samutpada」という。

仏陀釈迦牟尼が悟りを開かれ、初転法輪のなかでも述べられた原始仏教の中心思想であり、現代の仏教にも継承されている仏教の根本思想と述べても過言ではない。仏陀は苦からの解放を目指して修行されたが、さまざまな修行の果てに行き着いたのが、苦には原因があり、それに縁って起こるということだった。この縁起思想は、四諦、つまり苦諦(生老病死すべては苦しみであり)・集諦(苦は煩悩から生じるものであり)・滅諦(煩悩を消せば苦は滅し)・道諦(正しい修行法は八正道)などに展開してゆく。

縁起思想は、その内容を説明するのによく用いられる表現であるが、端的に述べると、「これあればかれあり、これ生ずればかれ生ず、これなければかれなし、これ滅すればかれ滅す」というものである。ただし、この縁起という仏教の根本思想は、仏教が仏陀によって教え説かれた初期の時代と、後世、現代の教義でその意味や内容は著しい変化を来しているように思われる。

まず、初期の時代の縁起思想は十二縁起にまとめられるだろう。すなわち、「無明によって行がある。行によって識がある。識によって名色がある。名色によって六処がある。六処によって蝕がある。蝕によって受がある。受によって愛がある。愛によって取がある。取によって有がある。有によって生がある。生によって老死、愁、悲、苦、憂、悩が生じる」というように。これは『雑阿含経』一二に見られるが、無明つまり無知によって、心が動き(行)、意識が活動し(識)、心が見聞きするものに、名と形がともない(名色)、眼・耳・鼻・舌・身・意の感覚器官(六処)によって、対象に触れ感じ取り(蝕)、感受し(受)、それぞれに愛欲が生じ(愛)、心に執着が生まれ(取)、⑩生存があり(有)、人生が繰り広げられ(生)、やがて老死に至るのだが、そのなかでさまざまな迷いのもと、すなわち、愁、悲、苦、憂、悩が生じるのだ。これは発生の順観という。

しかしながら、これを逆に考えたらどうか。仏陀はそのことに気づき、教えの中心に据えたといってよいだろう。というのは、四門出遊で描写されるように、王子であった仏陀が恐れをなした老死を超えるには、無明を滅することによって、行が滅し、識も、名色も、六入もそれぞれ滅していって、ついには老死も滅するという考えに行き着いた。この過程を逆観という。

こうした縁起思想は、人の心と生命が、無の存在から次第に感覚器官の活動により生命となって人生が展開、やがては、老、死に至る人間の生存を説明し、同時に、そのような煩悩の動きに迷わされないための方法が示され、実践する修行の方法の確立へと大きく進んだと評価してよいだろう。部派仏教では、その最大の部派となった説一切有部(サルヴァースティ・ヴァーディン学派)において、業の説が加わり、この十二支を人間の過去、未来、現在の三世に渡るものとしてそれぞれに配分した上で、時間的な生起を中心に縁起説を解し、三世両重因果説をたてた。

後代になると、迷いの世界の説明より、世界と心の問題として、思想的、哲学的に深く説明されるようになり、種々の縁起説が展開し、日本では民衆、社会に大きな影響を与え、縁起の心と一々自覚されてはいないが、現在に至っている。

まず、部派の諸説に異論を唱えて大乗仏教運動がおこり、とくにその最初に登場した『般若経群の一切皆空説は、2〜3世紀に活躍した龍樹(ナーガールジュナ)によって、「縁起・無自性・空」というように縁起説と密接に結びつけられて思想的な深まりを表した。これはすなわち、一切の事象はそれぞれ他のものを縁としてわれわれの前に現れているのであって、しかも各々が相互に依存しあい、その相互依存の関係も相互に肯定的であったり否定的(矛盾的)であったりしており、いかなる事象もそれ自体が実体を有するものではなく、仮のものとして認められるにすぎないとした。

そのあと、中期大乗仏教の一つに、あらゆる諸現象はわれわれの心の働きにほかならないとする唯識(ゆいしき)説があり、ここでは、その心による認識、心そのものについての詳しい分析を果たす過程のなかに縁起説を取り入れる。すなわち、外界との縁起の関係のうえに活動する心に眼耳鼻舌身意の六識をあげ、それを統括する自我意識を末那識(まなしき)といい、さらにそれをも包んでいっさいをしまい込んでおく阿頼耶識(あらやしき)をたてる。一方、この識から縁起の関係を通じて、いかにしていっさいが現象するか、また悟りに導かれるかが詳しく検討されている。

また、中期大乗仏教としては他に、人が悟りを開く素質を有しているとして、如来蔵または仏性をたて、それは本来清浄なる心(自性清浄心)に基づくとする(如来蔵縁起)、法性、真如などの説も唱えられた。

たとえば、三論の真俗二諦の縁起説、天台の空―仮―中の三諦に基づく縁起説などがあるが、特に華厳宗で説く法界縁起という考え方は、華厳宗のみに留まることなく、広く影響を与えたと言われている。法界縁起は、①事法界(事物観)、②理法界(真理の立場で観る)、③理事無礙法界(真理も事物も事・理不二の真理と観る)、④事事無礙法界(諦観すれば事物、それぞれ、そのままで相即、相互に関連しあうと観る)という四種に示されている。この法界縁起は、奈良時代、特に聖武天皇によって鎮護国家の政策にも影響を与えた。つまり、盧舎那仏が国の政治の中央である平城京にあって国全体に慈悲の光明を放って守護するという考えにより、東大寺に盧舎那仏の大仏が安置され、全国に置かれた国分寺・国分尼寺によって法界縁起の教えが全国に広められた。また、平安時代になると、真言宗で、全世界、全身を、地・水・火・風・空・識から成り立つ、とする縁起説が唱えられている。

☆空について

空はサンスクリット語で「シューニャ(śūnya)、あるいはシューニャター(śūnyatā)」という。

空とは、一切皆苦、つまりすべての存在には実体(自性)がないことをいい、縁起思想と同じく、仏教の根本思想である。

先述の通り、仏教ではすべての事象が因縁によって生起していることを意味する縁起を説くが、この因縁によって生起しているということは、一切は他に依って存在し、それ自身で生起して存在してはいないということでもある。それゆえに、すべての事象は、不滅の独立して生起した実体はないのであって、したがって空ということになる。つまり、縁起によって生じた事象には実体がなく(無自性)、実体がないから空ということになり、「縁起→無自性→空」とその関係を表すことができる。空とは縁起の法を別な視点から解釈した思想ということもできるだろう。

この空思想は初期経典である『スッタニパータ』などでも説かれていたようだが、その記述は少なく、思想的な深まりというには未発であり、大乗仏教の時代になってようやく強調され、思想的・理論的な深化を見せたと評価されている。たとえば『般若経』等が空思想を強調するようになったことを一例として挙げることができるだろう。『般若経』で強調されるようになった空思想は、龍樹(ナーガールジュナ)がさらに哲学的に考究し、主著『中論』で「我等は縁起せるものを空と説く。それは仮説であり、また中道」と述べているが、龍樹は「無自性空」から「中」もしくは「中道」もほぼ同義語として扱い、仏陀が提唱した中道への回帰を説いている。この「空・仮・中」は、その後、天台宗教義の「三諦」として理論化が進んだ。


タイの寺院にて

2022年6月29日水曜日

2030あだち未来スケッチ 地域活動交流会

6月26日に足立区生涯学習センターで開催された「2030あだち未来スケッチ 地域活動交流会」に学生が参加しました。

地域連携活動って「菩薩行」でもあります

前日まで準備に追われていましたが、学生が進行させている「古民家をつなぐあだちの魅力発信事業プロジェクト」の中間報告としての体裁はまあまあ整い、15分弱の発表。プロジェクトの成果物を仕上げていくための良い起爆剤になったと思います。

この機会を与えていただいた生涯学習センターならびに住民の皆さまに学生ともども心から感謝申し上げます。

そして、この交流会は文教大学学生有志による進行だったのですが、のびのびとおおらかに、そしてしっかりと振る舞っていました。今回のセッションでの接点はわずかでしかありませんでしたが、今後もこうした協働を続け、学生同士のつながりによって足立区がさらに活性化することを目指したいと思います。

あと何年ゲンバにいられるかなと思いつつ。

発表の後はグループディスカッション


2022年5月31日火曜日

被災地のその後を訪ねて 神戸FW

阪神・淡路大震災、それは私の個人史の中では統治制度だけでコミュニティの「安心・安全」を守ることの限界を思い知らされた出来事でした。そこから大きく都市計画学・建築学へシフトしていくことになります。

フィールドワークでは、当時まさに横倒しになった高架下を歩き、港湾までの道筋を辿りました。その過程は割愛しますが、行き先の港は静かに日常を営んでいました。

こうした初心に返るべくアドバイスがあったので。

備忘のために。


サンシャインワーフ神戸にて

2022年5月23日月曜日

山形市市街地フィールドワーク

学会発表にあわせて、かねてより予定していた山形市市街地のフィールドワーク(FW)に行ってきました。

もう少し範囲を限定すると、山形市都市計画マスタープランでいう「都心地区」になります。さらに限定するならばその中の「中央」と「東部」。

ちなみに昨日の発表の場、山形大学は「東部」に位置し、上記のマスタープランでは「昭和初期の⼟地区画整理事業により形成された⼾建て住宅を中心とした閑静な住宅地であるとともに、県庁や山形大学、多数の高等学校が位置することで昼間人口が多い地域」と記されています。

一方の「中央」は「行政機関や商業、業務などの機能が多数集積する広域都市圏全体の活動を牽引する地域ですが、近年大規模商業施設の撤退が相次ぐなど空洞化が進んでい」ると記されており、今回のFWはその「空洞化」とそれに対する振興策について見聞する事を目的としました。山形市の総人口はこのマスタープランに記載されている253,832人(2015年)からさらに減少し、244,584人(2022年4月推計値:「山形市現在の推計人口」山形市公式サイト)となっていますから、この点に絞ってみたいと思いました。

帰京までの数時間のワンショットFWなのでかなり限定されてしまいますが、それでも山形市まで赴いたならば、より多くのことを学びたいとの思いで。

さて、マスタープランでは「中央」について以下の記述があります。

「山形城三の丸及びその周辺に発達したまちで、二の丸に囲まれた霞城公園を中心とした城下町の面影を残したまちなみに、明治から昭和初期の近代都市建築の遺産である文翔館、郷⼟館(旧済生館)、まなび館(旧山形一小)などが位置しています。また、歴史的な価値のある「蔵」をリノベーションした山形まるごと館紅の蔵や gura がまちなか観光の拠点となっています。旧羽州街道の沿道には、老舗の歴史ある商店が軒を連ね、風格あるまちなみ景観を形成しています。」

この記述から、今回のFWの目的を「歴史的な遺産という地域資源を観光資源として活性化に寄与できているか」としました。

このブログでは郷土館(旧済生館)をご紹介しておきましょう。郷土館の建物は国の重要文化財でもあります。その印象的な外観はこの通り。

郷土館(旧済生館/竣工1878年9月)

色彩も印象的ですが、何よりも中国の客家の建物のような。

1階は八角形で外観は三層。でも内部は四層で、さらに複雑な多角形平面が織り込まれています。これは明治期の職人の腕による擬洋風建築なのですが、その技術の高さを誇る職人の息吹が今も伝わります。

1階内部の庭園

山形市の公式サイトによれば
「最初は県立病院として使用され、その後、明治21年に民営移管となり、明治37年からは市立病院済生館の本館として使用されました。創建当時は医学校が併設され、オーストリア人医師・ローレツが近代医学教育の教鞭をとったことでよく知られています。

昭和41年12月5日に国の重要文化財に指定され、それに伴い霞城公園内に移築復元の運びとなりました。昭和44年に移築復元工事が完了し、管理棟を付設のうえ昭和46年に「山形市郷土館」として新たに出発しました。

現在、1・2階を一般に公開し、郷土史・医学関係資料を展示しています。」とのことです。

歴史的建造物を地域資源として観光資源化することに成功しているかといえば、建物も展示物も素晴らしいのですが…2階へ上る階段が急な傾斜ということもあって、高齢者の方々は上り下りに苦労されているようでした。とはいえスロープの増設もし難いし、バリアフリーはなかなか難しそうです。階上にのぼる階段がまた見事な造りなのですが、建物の保存という観点からすると、階上を見学ルートに組み込まず、もう少し展示内容を絞って1階に集約した方がいいような気がします。

郷土館だけでなく、霞城公園周辺には足を止めることのできる空間があまりなく、観光客に取ってみればリュックを背負って延々と歩く「苦難の行軍」になりかねません。ひとやすみできる空間あるいはストリートファニチャーを用意してくれるととてもありがたいですね。

でも、霞城公園周辺はマスタープランに従って機能的に整備されていることは確かで、次回、訪れたときには本丸エリアの整備も終わっているのではないかと。今後の計画の遂行が楽しみです。

このような計画の結果、霞城公園周辺が「中央」の観光資源になることは間違いないと思いますが、課題となっている空洞化や人口流出の対策としての効果は薄いような気がします。

観光客を呼び込むにしても、1つ1つの観光資源の間が、車で移動するには近すぎ、歩くには遠すぎる、微妙な距離なので、車でも徒歩でもない移動手段の整備が望まれます。人力車などが風情があって面白いんだけど、車夫の確保が難しいかなあ!山形大学の学生の皆さん、車夫やりませんか?

知恵を凝らせばまだまだできることはたくさんあるはず。

山形市の皆さん、ともに頑張りましょう。

2022年5月21日土曜日

学会発表@山形大学 比較文化学会第44回全国大会・2022年度国際学術大会

東京未来大学における地域連携の状況を学会(山形大学)で発表してきました。
題して「多文化共生が進む自治体における地域連携活動『足立区大学生地域活動プラットフォーム』活動報告」。

早朝、山形新幹線つばさ121号に飛び乗り、北上。

車窓から見る福島の町なみ

福島駅を過ぎると新幹線のイメージからは程遠い地域密着型路線のようになるんですね。山形駅に着いたら昼飯を買い込んで一路山形大学へ。

山形大学小白川キャンパス正門 琉大の北門のよう

総会、シンポジウムのあとは先輩教員と自分の発表。今回は共同発表なんですね。
協働・共創の概論部分を担当し、先輩教員のご専門の多文化社会化の現状の報告にバトンタッチ。

学会の一風景

今回の発表は、論文投稿を見据えての発表なので、アウトラインだけをさらりと。数か月かけて文章に起こしていきます。

小白川キャンパスは木々にあふれて新緑の風薫る気持ちの良いキャンパスでした。

キャンパスのメインストリート

またこの街に来させてくださいと祈りながら帰途につきました。



2022年5月18日水曜日

今日は観音様のご縁日

大学の近くに祠堂があって、そこには十一面観音様がいらっしゃいます。

学生の多くは「おじぞうさん」と呼ぶのですが、この機会に声を大にしていわなければなりません。石像の仏像をいっしょくたに「おじぞうさん」とか呼ぶのは止めましょう。

この十一面観音さま、厚い信仰を集めていて、お線香が絶えているのを見たことがない、といってもいいくらい、多くの方が参拝しています。一等地にあるわけではなく、偉いお坊さんがいるわけでもない。誰とも知れず皆さんが少しずつきれいにする気持ちを添えて、お花、お香、お水などの荘厳は清浄です。ピカピカの仏器ではありませんが、気持ちがこもっている空間で、誰をも受け入れています。

私はこのような祈りの空間を調査・研究してきました。机上のそれによるのではなく、十年の単位で野山を歩き回りながら。

そういえば、弘法大師・空海も若き日に野山を駆け巡って、雑密と呼ばれる密教のかけらを拾い集めては実践していたようですね。お大師さんのお力には及びませんが、そこかしこに神仏がおわしますというその感覚はなんとなくわかるような気がします。その感覚が祈りへとつながるのですが、こればかりは「外」で動き回った方でないとわからないのではないかと思うのです。

その私が思うに、この十一面観音様はとても大きなお力をお持ちのような気がします。今日拝見した観音様は、冬用の「どてら」を脱ぎ、初夏を思わせる陽気の中で静かにたたずんでいらっしゃいました。

祈る人が できるときに できることをして 
きれいにされているのがわかります


2022年5月14日土曜日

地域連携Ⅰ しまや出版・小早川真樹社長をお迎えして

講義科目「地域連携Ⅰ」で対面講義が復活して、嬉し、忙しの日々です。

今回は、コミケでは有数の知名度を誇る企業、(株)しまや出版の小早川真樹社長をお迎えして、企業をめぐる現況、社長ご自身のキャリア形成についてお話しいただきました。

シャアとして描かれた小早川社長の勇姿

社長と一緒に来学していただいた3人の新入社員のお話もあり、学生のキャリア観に大きなインパクトを与えたことは間違いないでしょう。

私が最も印象に残ったのは「癒し課」の社員さんのお話でした。


さすがカリスマ社長 目の付けところが違う


その社員さん人間ではありません。ねこなんですね〜こんな人間との共生の在り方もありなんだなと。今年、地域猫の研究をするゼミの学生と「癒し課」を研究対象に入れることができないかを画策中です。


2022年4月25日月曜日

真言宗の祈りについて

 新たな調査・研究について、その地平のかなたに仏教とりわけ真言宗が見えてきています。

その文献研究の一環として高野山真言宗から刊行されている「高野山時報」を読み進めているのですが、2021.12.11に池口惠觀宿老(高野山真言宗)の「真言密教の祈り」という論稿が掲載されていました。

真言行者のあり方についてこの論稿をまとめておく価値があると思い、備忘のために暫定的なメモを残しておこうと思います。



2022年3月19日土曜日

卒業式を終えました

今年も無事に卒業式を終え、ゼミ生を送り出すことができました。

その前にはささやかながら研究室でラスト・ゼミを開催し、

人生ってそれそのものがフィールドワークだよねということ(4月から勤務する企業もフィールドワーク先)、

そして、

人と人とのつながり、あらゆる存在や事象とのつながり(帝網)でモノを考えていきたいね(コミュニティデザイン)、

ということを話しました。

卒業式当日には、ゼミのムードメーカーだった学生が壇上に上り、感謝のお言葉もいただきました。

この学年は1年生のときに、私が担任だったこともあり、ほんとうに思い入れ深い学年でした。彼らが去ってしまうことがとても寂しいですね。学生を同志として扱うことが我がゼミの伝統で、その期待によく応えてくれた学生たちでした。

卒業の高揚感やゼミの担当教員を目前にしてということを割り引いても、「この大学に入ってよかった」という言葉を聞けたことはとても嬉しいことです。この学部をもっと育て、この学生たちが誇りを持てる大学にしたいなと思います。

SNSでのつながりを残しつつ、3月17日をもってゼミは散開します。彼らの洋々たる前途を祝します。

卒業記念にいただきました


2022年2月17日木曜日

卒業研究発表会を終えました

2月上旬、無事に経営領域4年生の3ゼミ合同卒業研究発表会を終えました。

私の研究室からは8人が以下のタイトルで発表しましたが、今年はプロジェクト報告書が多かったですね。

「喜田家との協働による商品開発プロジェクト報告書」

「密ドラの報告書」

「ハザードマップの有効性」

「町屋プロジェクト報告書 ー勉強カフェ計画—」

「古民家をつなぐあだちの魅力発信事業プロジェクト報告書 -高齢者に対するまち歩きのコース提案-」

「喜田屋町屋店 2・3 階の有効利用に関するプロジェクト報告書」

「アニメツーリズムによる現状と課題」

「鐘ヶ淵平和通り商店街まちづくり」プロジェクト報告


コロナ渦ということもあり、3年次に携わったプロジェクトの報告書を書くことを選択した学生が多かったのが今年の特徴でした。

発表会はもちろんリモート。今後も合理的にWebを使う流れは続くと思いますし、続けなければ。コロナ渦のパンデミックにおいて対面を強要することはもはや暴力ですよね。

さまざまな申請書や報告書を紙で提出しろというのは提出先に紙というお盆にウイルスを乗せて持っていくようなもの。もちろん職場の人間関係を円滑するマイクロ・コミュニケーションもわからないではないのですが、そのために出勤せよ、電車に乗れ、バスに乗れと命じることは疑問ですね。

幕末の歴史を見ると、クロフネの処理に失敗した幕府が倒れ、新しい枠組が生まれてきました。さて今回、新型コロナウイルスという「クロフネ」についてはどうでしょう?

私たちは「チョンマゲ」を切る選択をするのでしょうか。いろいろな閉塞感が社会を覆っている気がいたします。そんななか、卒論発表会は若い世代のエネルギーを確かに感じることのできる、私にとっては栄養剤のような時間でした。

皆さん、卒業だね。寂しくなります。

学生の発表スライドから


2022年1月4日火曜日

新年を迎えて

新しい年を迎えました。皆さま本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今年は寅年。

今までの努力や蓄積が芽吹く年といわれております。正月の三が日、私は初詣の修正会に伺っていたのですが、そこでお坊様もそのように仰っていました。また、新型コロナウイルスをはじめとしてこれから大変な時代になるとも。

私はこのような混迷の時代には、改めて哲学や宗教に対する人びとの希求が高まるのではないかと感じております。生きることの意味、すなわち死の意味。「科学」という解明の手段を駆使してさまざまなことがらを人類は「解明」してきましたが、地域を超えて、時代を超えて、永遠の真理としてあるものはいったいどれだけあるのでしょう。

社会学者A.コントは、人間の精神というものを、神学的段階から形而上学的段階へ進み、近現代にいたって実証主義的な段階へ進んだと指摘しましたが、「実証」はいくつかのサンプルから「実証」したものが少なくなく、それを「全体」に適用したときに必ずしも妥当しないことがあります。私たち研究者の論文にも標本調査があふれていますが、「実験」「調査」の結果得られたデータはかなり限られた条件下においてのものであったりします。

もっと大きな視点からみて、この世界を動かしている根本的な原理は何なのか、そして新しい時代にふさわしい指針は何なのか、こうしたことが、いま、私が探し求めているものであり、そしてまた、私と同じような思いでおられる方々は少なくないと思っています。

教育、政治学、社会学、工学とあまりにも細分化された科学の手法でさまざまな視点から「解明」をなさんと心がけてきましたが、自分に残された時間を思うと、このような方法を堅持しつつも、より包括的な方法を学ばなければならないと考え、実践しているところです。

その方法とは?今年の秋頃と来年の春頃にその実践は節目を迎える予定です。花が咲くまでにもう3年はかかるかな。精進あるのみ。終わりなき旅を続けます。

2022年の年頭の所感として。

一歩一歩を踏みしめて進むしかない