2020年11月15日日曜日

モチベーション行動科学部・経営領域3ゼミ合同フィールドワーク(FW)

小田急線で代々木上原駅を過ぎようとするときボンヤリ車窓を眺めていると

アレ?今の何だ?目の錯覚か?

と思わせる尖塔があるのにお気づきでしょうか。

それ、モスク(イスラム教の寺院)です。

本学部経営領域初の試み、3ゼミ合同FW。最初に選んだのは、東京にある本格的なモスクでありトルコ共和国の文化センターを兼ねている東京ジャーミー。

この並木道をたどると
こんなふうに見えてきます
秋空に映えるモスクがきれいすぎて
内部空間のドームはこのように

マーケティングのゼミの教員はハラル・マーケティングを、多文化共生のゼミの教員は多文化共生そのものを、私のゼミではコミュニティがどのようにムスリム及びイスラム文化を受容しているのかを、それぞれテーマとして臨んだわけですが、FWとは楽しむのが基本。

学生たちは非日常を存分に味わったのではないでしょうか。

フィールドノーツと「分厚い記述」のレポートを課して夕方解散。有志でトルコのコーヒーとお茶にチャレンジ。苦みのあるコーヒーが好きな僕はその味を存分に堪能させていただきました。

コミュニティにおける祭祀空間がどのように変容していくかはD論以来のライフワーク。その面からも刮目するコトを目の当たりにして帰ってきました。メデタシ・メデタシ。

国父ケマル・パシャの肖像画@カフェ


2020年11月14日土曜日

キャリアデザインに関する講演でお話ししてきました

北千住のマルイは全国有数の集客数を誇るマルイだそうですね。そのマルイの上階にセミナールームがあるのですが、そこでキャリア関連の講演をして参りました。

演題は「働き方×キャリアデザイン講座 未来の「働く自分」をデザインしてみよう!」

どちらかと言えばユース対象の講演のつもりだったのですが、中高年齢層の方々も受講していただき、受講者のさまざまなキャリアに関する熱い想いを感じる講演となりました。

コロナで大学が封鎖されているのでしょうか、あるいは大学での学びを経験せずにお勤めなのか、10−20代と思わしきお二人の方が講演の合間に交わした会話を鮮明に覚えています。

「大学の講義ってこういうふうなんだろうな」「な」

この気持ちに応えなければならない、と思いました。

だからでしょう。

主たるテーマは、ライフシフトとクランボルツの「計画的な偶発性」なのですが、そこから派生させて、普段ならお話ししないような極めてプライベートな内容や仏教用語との関連など、演題を超えてお話しさせていただきました。

たとえば、諸法無我

世のすべてのものは実体があるわけでなく、それらは因縁によって生じているという仏陀の根本的な教えの1つです。

そうすると、「自分」という存在は「他者」との因縁によって立脚しているだけで実体はない、ということになるのですが、これをクランボルツの「計画的な偶発性」すなわち「キャリアは偶然に作用するところが大きい」という理論に引っ掛けてお話しさせていただきました。

今思えば「一切皆苦」の方がよかったかなとも思うのですが、事後のアンケートは概ね好評で、この講演をマネジメントしていただいたディレクターの方にもご評価いただけたことが、とても嬉しかったです。

当初の思いからすれば、ずいぶん遠くに来てしまったな

そうお思いの方は多いと思いますが、どうか自信を持ってください。

歩み続け、逆に流されながらも手繰り寄せ続け、人との縁を結びながら、今のキャリアで学べるものを学び続けていれば(「計画的な」ということ)、ふとした機会がやってきます(「偶発性」ということ)。


そのときに今のステージで異なる役を演じても、ステージを変えても、今のステージを続けながら他のステージに出演しても自由自在。そんな世の中が来ます。



生命の終わりまでカウンセリングできるようにならないと


2020年10月20日火曜日

群馬で?研修会講師をつとめて参りました

 コロナの日々、大学はどうしても(東京は特に)リスクの高い環境になるため、フィールドに出ることが多くなっています。大学もリモート推奨ですから、沖縄や群馬に研究室を構えることができたらなと、夢を見つつ。

さて、今回は社会教育委員の皆さんを対象として研究集会の講師をつとめて参りました。もちろん、このご時世なので、リモートでの講演となりました。群馬、渋川生きたかったナー。

内容はといえば、渋川市の社会教育委員の皆さんの事例発表の後だったので、渋川での足跡をふんだんに盛り込みながらお話を展開いたしました。

とても嬉しかったのは、5年前に私が政策提言した内容が公民館活動や社会教育活動に活用され、これを指針としての活動が渋川市の社会教育委員の皆さんから報告されていたことです。泣きそうになりました。

私は、地域活動と社会教育を表裏一体の関係と捉えております。

特に小・中学校の学校教育の大部分はいずれ社会教育に併呑され、それが結果としては小・中学校の先生の負担軽減につながると考えておりますので、その点を恩義ある渋川の皆さんにお伝えしたく本日はwebにて群馬までまかり越しました。

後半にはキャリア教育にも話を展開し、持論をお示しして終わりました。

お声だけだったのですが、懐かしい方のご健在も伺えて実りあるひとときでした。このような会にお招きいただいたことを心から感謝申し上げます。中部教育事務所の皆さま、渋川市役所の皆さま、社会教育委員の皆さま、心から感謝申し上げます。

また渋川に参ります。もう来なくていい、そう言われるまで。



スライドから


2020年9月14日月曜日

あだち夢のお菓子コンテスト 表彰式に行って参りました

 地元にねざす金融機関・足立信用金庫がコロナ渦をものともせずに開催した「あだち夢の菓子コンテスト」

その表彰式に学長のご名代として参列し、「東京未来大学賞」を授賞してきました。

会場

このコンテストではウチのゼミ生が足立区長や東京商工会議所足立支部長の皆さまと同じ席に座らせていただいて審査員を務めたのです。

数ある応募作品のなかからその学生が選んだのは、この作品。足立区内の小学6年生の作品でした。

受賞者中、唯一の男の子の作品

この作品を選んだ学生はカフェでアルバイトをしているのですが「女子大生がカフェでお茶をするときにあったら思わず食べたくなるような」というのが選出の理由でした。いろいろな食感が味わえそうですよね。

グランプリ作品と準グランプリ作品はすでに試食用に出来上がっていて、授賞式の後は皆さんと共に試食会場に。これが超うまい!「お菓子のまち 足立」を十分アピールできる味に仕上がっていました。

グランプリ作品 小豆と苺と栗のスポンジケーキ

準グランプリ作品 小松菜 豆乳プリン
(小松菜を足立では「足立菜」と呼びます)

東京未来大学賞を受賞した男の子と保護者の方と懇談しながら上記の作品を食したのですが、このお母さまにしてこの子ありということがわかる、あたたかみのなかに凜としたものをお持ちの素晴らしい方でした。受賞者の男の子は、小学校最後の学年が新型コロナウイルスの影響で大変なことになってしまいましたが、この受賞を運気の高まりにつなげ、どうかたくましく育って欲しいと思います。そして、いつかどこかで足立のために協働できるといいなあと夢想したり。

コミュニティをデザインする、人と人とをつなげる、人と人とがつながることの価値を実感しながら帰途についたのでありました。

2020年9月12日土曜日

『これだけ覚える 教員採用試験教職教養 '22年版』が発刊されました

監修と分担執筆を担当している本書が出版されました。

教職を目指す皆さん、どうか書店で手に取ってみてやってくださいませ。

学習指導要領の全面実施となることから(校種により異なりますが)、前学習指導要領の記載をなくしてスリムになりました。



Amazonなどでも販売されています!

2020年9月6日日曜日

和菓子職人とのセッション

本来のプロジェクトのスピンアウト。

和菓子職人さんと学生とを結びつけてきました。どちらかというと保守的になりがちな和菓子職人の思考・感性を崩してほしいという社長さんからのご依頼があって実現したものなのですが、僕としては、学生のキャリア観の広がりにも役立てられそうかなと。

テーマは、歌舞伎を感じさせる和菓子表現。学生が事前に用意したアイディアを技術的に実現可能かどうかを職人さんに確かめてもらいながら進行。

僕も出しましたよ。透明などら焼き。中のあんこは味いろいろ、色とりどり。その場であんこを選んでもらって、はさんでテイクアウト。いけません?

まあそんなこんなで。

フラットであるべきセッションの場が「職場」だと若い世代はヒエラルキーを感じてしまうこともあるでしょうから、もっと気楽に話せる場の方がいいのかなとも感じました。ウチの学生は伸びやかに、コロナ渦での鬱憤を晴らすように、セッションに臨んでいましたけれどもね。

これ、続けたいと思いました。テーマや内容は変わっていくと思いますが、スキームを組み上げます。足立区が志向する協創ですね〜学長会議でも言っちゃったし、動かないと。




密かな?(ちゃんと換気してます)

2020年8月28日金曜日

足立六大学 学長会議に陪席して参りました

足立六大学って知ってます?

足立区内にある、東京未来大学、帝京科学技術大学、東京電機大学、東京藝術大学、文教大学、放送大学を総称してこのように呼びます。

足立区が文化立区を掲げ、本学の開学を端緒としてこれらの大学を区内に招いて十余年、まちはずいぶん変わりました。よく言われるのは、北千住駅前を歩く人の質が変わったということ。若い世代がまちに関わることによってさまざまな良い変化が起きています。区の判断は正しかったのです。

その六大学の学長が年に一度集って、その年々のテーマに沿ってディスカッションが行われるのですが、今年のテーマはもちろんコロナ社会と大学、そして大学が地域にあることの意味についてでした。

詳細はこちら→足立区公式サイト

私は陪席の身でしたが、学長から特に発言を許されて、コロナ化社会における最近の地域連携活動について報告させていただきました。

主な内容はコロナ化社会で急速に拡大したWebによるコミュニケーションツールを使って新しい動きがあること。具体的には、区内の若手経営者とウチの研究室とのWeb交流会などなのですが、この交流会はまさにその夜に実施される予定だったので、タイムリーな報告になりました。

人が日時を合わせて一定の場所に集うという重さから解放され、よりカジュアルに「会う」ことが行える意義は大きな可能性を秘めていると思うのです。


ガッツポーズを決める学長先生方と足立区長

(足立区公式サイトから)


2020年7月25日土曜日

墨田区のプロジェクトが動き始めました

鐘ヶ淵駅前商店街・平和会との協働が始まります。

コロナ渦の状況を見定めながらですが、学生たちは研究室に集い始め、商店街の皆さんのニーズに合わせて計画に着手しています。

課題は、今から商店街が踏み出すその一歩は消費者のニーズにマッチしているか、という点にあります。都市計画、行政が粛々とものごとを前に進めようとしています。一方で、そこにどのように民意(商店街の意向)を反映するのか。商店街といっても「一枚岩」ではなく、学生たちは2年生のときに学んだ「意思決定」という重い課題に直面しています。

とりあえず消費者の意向を探るということで、年齢階層は限定されますが、質問紙による調査を担当している講義で投げかけています。学生とのミーティングでそれを共有し、さらに深く「現状」を知るための方法について考えさせています。

でもこうした課題より、何より楽しいのは時間と空間とを共にして何気ないコミュニケーションを重ねることなのだということを噛みしめています。合目的的ではない、nonverbalなコミュニケーションのなかにこそ、ゼミの妙味はあると思うのです。

日常に刺激ある楽しさが戻ってきました。
「ひとのなかへ」

@研究室
この学生たちは地域のオトナ衆にも鍛えられるのです


2020年7月3日金曜日

ゼミ始動 コロナ感染者数急増のなかで

今週から対面講義でのゼミが再開されました。

三密を避けてということで、一般教室でのゼミとなりましたが、3年生、4年生ともに久しぶりの再会を楽しみながらのゼミ進行となりました。研究室でお茶を楽しみながらのゼミはもう無理なのかもしれません。研究室に常置している彼らのカップが寂しそうですね。

感傷に浸る間もなく、新しい日常とやらに慣れていくしかないのですが、行政の皆さん、都内の感染者数100名超のここ数日ですが、ほんとうに大丈夫?

学生は、長距離の電車通学をこなし、居酒屋のバイトに従事し、店が開いていれば飲みにも行きたくなるでしょう。経済とのバランスも考えなければなりませんが、今このときを考えるなら、【生命・健康>経済】のような気がします。

ゼミをwebに戻すことを視野に入れていますが、学生が強く対面でのゼミを希望する以上、無碍にダメともいえません。でも、ご存知ですか?米軍・横田基地(東京都)は東京の区部を立入禁止区域に設定していることを。


政府が機能しないなら、国内の異国である米軍基地を情報源の1つにするのも悪くありません。横田基地は「公衆衛生非常事態宣言」を継続して(6月30日現在)、警戒にあたっています。

さて、どうやって乗り切ろう?
地域からの熱い要望にどうやって応えよう?

2020年6月26日金曜日

コロナ化社会のなかで コミュニティ活動の再開

新型コロナウイルスの影響により春先から研究室の活動を停止せざるを得ませんでしたが、この7月より起動します。

この活動停止の期間を充電のときととらえ、研究室の学生ともども心身を養っておりましたが、解き放ちます。新しく研究室に配属された3年生のなかにはすでに個人で地域に没入している学生もいて、頼もしい限りです。

起動するとはいえ、まだその途中で、総力を挙げた活動にはほど遠いのですが、小粒でもピリリと辛い山椒のように、限られた条件・環境のなかで最大の効果を目指します。コミュニケーションのスタイルはwebを媒介とするものが多くならざるを得ませんが、その分、実際にお目にかかったときに最良の出会い、パフォーマンスとなるようにいたします。

7月には足立区が誇る菓子産業を盛り立てるコンテストがあるのですが、その審査員に学生を派遣します。

また、大学生地域活動プラットフォーム事業も講義「地域連携」を軸に活動を再開します。

研究室の学生の社会調査スキルの向上を目指してインタビュー実習を行うのですが、これをプラットフォームの再開と組み合わせ、ハイブリッド・プロジェクトにします。

墨田区の再開発事業に伴うまちづくりP、荒川区の店舗を起点とする地域活性Pも再開します。

1速のギアでも重たい感じがしますが、今後とも、研究室の活動についてご理解とご支援を賜りたく、お願い申し上げます。

2020年4月27日月曜日

プレゼミ開始

コロナ化社会における大学のあり方が試されようとしていますが、本研究室では遅ればせながらWebを通じての研究室活動を開始します。

本日から数日間、研究室の学生諸君にお願いしている情報・通信インフラのチェックを兼ねて、プレゼミを実施します。

Google Meetを使うのですが、さてさてみんなできるかな。

実習、就活…今年の学生は経験しなかった試練に直面しています。

2020年4月14日火曜日

コロナ化社会と大学 そしてコミュニティ

さて、すでに2019年度が終わり、2020年度が始まりましたが、大学そして研究室は混乱の極みにあります。しかし、一歩一歩着実に新たな学びの環境の構築をしています。

とはいえ、挙行されるべき入学式は無くなり、講義開始日は1ヶ月以上先に。
クラスター化しかねないため、学生たちを大学に呼び入れることもできず、コミュニティ活動もままならない、「例年通り」の春を迎えることはできません。

でも常に「例年通り」であったことを見直す良い機会です。この機会に合理化できるものは合理化してしまうなどね。
日本社会は「慣例」「ならわし」がものごとを推し進める強い力の1つになってしまうと、なかなか他の方に舵を切れないことが起きがちですから。

たとえば、多くの人数を一堂に集めての、式、会議、あるいは出勤。こうしたものがほんとうに必要なのか否か、見つめ直す良い機会だと思うのです。

さて、大学の講義はwebでの講義になります。

学生は「通学」から解放されるでしょう。一方でいわゆる「出席点」はなくなりますけれどもね。
私たち教員も、二度も三度も同じ講義をしなくて済むようになります。
しかしながら、webではどうも機微に触れるところが伝わらない、人と人とが会ってしか行い得ないような、ゼミ、地域・コミュニティでの実践、こうした活動の価値はますます高まる、そんな予感がします。

学生たちもはやく自身が携わってきたコミュニティでのアクティビティに復帰したいでしょう。卒業研究もあるし。

そのためにも、この混乱の果てにあるコミュニティ、地域においても存分な活動をするための準備を怠りなくしていかなければならないのだと思います。

さて、そろりそろりと動かねば。

関三通り商店街 茶匠おくむら園にて

2020年3月10日火曜日

東京大空襲 森下家の永劫回帰

3月10日
東京下町では忘れることのできない大空襲の日です。

たとえばわが家では、親が自分で墓参することができないとき、
豪雨であっても、雪が降っていても、かまわず僕は私用の有無を問われることなく「行ってこい」と命じられ、親に代わってこの日に墓参したものです。

大雪の日に墓参したときは、「こんな大雪の日に行ってくれたのか」と祖母が大泣きしたことを想い出します。

東京大空襲では10万人以上の市民が死にました。いや、殺されました。木造建築である日本の家屋をどうすれば効果的に燃やすことができるか。空襲を指揮した米軍人カーチス=ルメイは、日本にゆかりの深い建築家、F=L=ライトの弟子、A=レーモンドの協力のもと、着弾すると燃え上がり、コンクリートまで燃やす焼夷弾を開発し、東京大空襲に臨みました。ベトナム戦争で用いられたナパーム弾と同じ原理の兵器です。

総力戦であれば市民の殺戮も当たり前?

日本も重慶(中国)などでやっていますから、連合国の側からすれば当然の報復なのかもしれませんが、想像を絶する非戦闘員に対する大量殺戮として、広島、長崎と同じように、東京下町ではその記憶を紡ぎ続けています。

祖父や叔父・叔母、この血族に当然僕は会っていませんが、東京大空襲で殺されてしまった我が一族の人びとです。焼夷弾の直撃に近い攻撃を受けた祖父の遺体は燃え上がって判別がつかなかったと言い伝えられています。わずかに残っていた時計で祖父と判断されたとも。

さて、今年。
この3月10日を待つように、あるいはかの人びとに呼ばれるように、また1人肉親が旅立ちました。この日に因縁を感じざるを得ません。

僕はいま、沖縄・台湾から東南アジアへ延びる公共空間研究に乗り出していますが、一方で東京下町、群馬のコミュニティ・デザインに従事しています。前者はコミュニティ研究の基礎研究として、後者はコミュニティ研究の実践として。

後者の、特に下町のコミュニティ・デザインに没入する思いは自分の祖先の地であることに由来するのですが、2020年3月10日は、1945年3月10日と同じく、忘れることのできない日となりました。

その忘れることのできない思いがモチベーションを高めます。

昨年末、僕は下町のコミュニティ・デザインから埼玉のそれへシフトする機会を与えられましたが、我が一族の持つ何かがその機会を遮断したのかもしれません。その機会は永遠に去り、シフトすることなく、スカイツリーをすぐ近くで仰ぎ見ることのできる下町を僕は駆け回っています。

3月10日。
ニーチェの言う「永劫回帰」という言葉を噛みしめつつ。

2020年2月25日火曜日

フロンティア(frontier)

新しい協働の枠組みが始まります。

都市計画の新しい動きは地域を動揺させます。
この動揺は、未来への希望とこれまでの終わりと、大別すれば2つの方向性をもって人びとの心にさざ波を生じさせます。キャリア・カウンセリングによく用いられる言葉を援用するなら、トランジション(transition)。

まちづくりは「ひと」づくり。ひとづくり、という言葉はどうしても上からの目線を感じさせますが、私がつくる主体ではなく、まちが、あるいはその地域の人びとが、その地域に関わる人を育てる、このような意味で使っております。そう、私もまたつくられる客体なのです。

この地域をまとめる会合に招かれ、地域リーダーからプレゼントをいただきました。このハートに込められた思い、必ずや。


皆さん、学生ともども、よろしくお願いいたします。

シンガポールのセグリゲーション

シンガポールはイギリスが宝石のように大切にしてきた地ということが、まちを歩くと実感できます。それは数々の教会ばかりでなく、統治の安定を目的とするセグリゲーションの跡をまちに見ることができるからです。

マラッカ海峡を睨む、この地をイギリスは手放したくなかったでしょう。ジブラルタルもそうですが、イギリスはこういう場所が好きですねえ。

セグリゲーションは民族などさまざまに区分される社会集団ごとに居住区域を分離することを意味しますが、中華街だけでなく、インド、アラブなど、シンガポールではそれぞれが見て取れます。民族ごとの区分なので、エスニック・セグリゲーションと表現した方が妥当ですね。イギリス統治は、インドなどのわかりやすい例からわかるように、セグリゲーションをはじめとする、社会集団ごとの分割と差別化、あわよくば対立を仕向けながら、自らに敵意を向けさせないことを旨としていましたね。だからこそ、マレー半島を蹂躙した大日本帝国の敗北後にイギリスが戻ってきたとき、歓呼の声が上がるわけです。

そのイギリスも世界の体勢に従って植民地を放棄し、いまのシンガポール、マレーシアがあるわけですが。

シンガポール、その独立はマレーシアからの追放という失意にまみれた歴史の一側面を持ちます。国家権力が強権をふるわなければ、もしかしたら今のシンガポールはなかったかもしれません。開発独裁の典型という批判はありますが、そのシステムは見事という他はありません。見習うべき点は多々あれど、あまりにもキチキチし過ぎていて、住むならタイの方がいいなあということを改めて実感する滞在でした。

おなじみのマーライオンからベイエリアを臨む

2020年2月23日日曜日

クアラルンプールというまち

クアラルンプールを訪れました。
植生はまごうことなく熱帯雨林気候です。



イギリスの植民地だった地域の名残でしょうか、抑制の効いたまちづくりをしているように感じました。特にゾーニングにおいて。



あるいは、この国の国教であるイスラム教の影響も強いのだと思います。ヒジャブをまとう人びと、主旋律としてところどころで目にする黒という色、熱帯の陽光にイギリスのネオ・ゴシックも映えますが、モスクはなおのこと目に焼きつきます。



まちづくり・都市計画の講義に用いることができるのは、多文化共生という点でしょうか。そのなかでもブミプトラ政策の功罪については、公共経営、公共政策の視点から特に時間を割けるところだと思います。



今回はJETROクアラルンプールを訪問させていただいたのですが、マレーシアの現況に関するレクチャーは大変有意義で講義・研究に活かすことのできる内容でした。ご担当いただいたJETROの皆さまに感謝申し上げます。

2020年2月21日金曜日

タイへの想い

タイへ行ってきました。

新型コロナウィルスの騒動で入国できるのかを危ぶみながらでしたが、いつもの愛想のない入国審査をすり抜けて無事入国。

多くの感染者が出ている日本からのツーリストを警戒という一報が友人から寄せられてヒヤヒヤしていましたが。

今回は、在タイ日本企業を訪問後、アユタヤへ。
古都であり、日本との縁深き地。日本人向けのマイルドなタイ料理を食べ、ワット・マハータートへ。

栄枯盛衰 無常を

この国の持つ仏教という背骨。あといくつかあると思うのですが、今回の旅は仏教でいう無常を感じる旅でもありました。ペシミズムに傾倒したわけでなく。

短い滞在でしたが、自分のなかに仏縁を宿らせてもらったような気がします。次に長く訪れるとき、またゆっくりとアユタヤに浸りたいと思います。建築あるいは文化社会学的なアプローチからの、またキャリアと教育、コミュニティに関わることがらについても、ラフではありますが研究上の関心事が惹起しました。

こうしたご縁をいただいている先輩教員・研究者、そして昨年再会の機会を得た古くからの友人に感謝しながら。

人影まばらな観光スポット タイ経済が心配です

2020年2月6日木曜日

空き家から始まるまちづくり

千住Public Network East の People に僕自身のまちづくりと次世代の育成に対する思いを掲載していただきました。

下記のリンク先をご覧ください。
https://senjupublicnetwork.com/miraidaigaku/

「いま、千住は面白いな」とつくづく感じる動きがあります。そうした旬に巡り会っていることを喜んでいます。

後期講義が終了し、成績算出に追われているところです。

昨夜も研究室は煌々と

2020年1月28日火曜日

荒川区役所で職員研修を実施しました

本日は学生を帯同して荒川区役所へ。

主な内容は大学と協働しての地域活性化の事例と根底にある問題意識や理論の共有。

荒川区は隅田川を挟んでの隣区です。未来大は足立区の南端に位置しますが、川を挟んで、荒川区、墨田区、葛飾区の真ん中に位置します。この位置づけを端緒として下町全体を活性化するスキームを、私は「未来大・四つ葉のクローバー計画」と命名して、駆けずり回っています。今日の研修もその一環として位置づけ、新たな協働の可能性の種を蒔きに来たつもりです。

さて、この種、芽を出すでしょうか?

研修会場にて

2020年1月27日月曜日

鐘ヶ淵定例会

鐘ヶ淵駅前商店街活性化のための会合に行って参りました。

これからのスキームづくりと「柱」、
学生の役割など。

これに関わるためにウチのゼミに来た!という学生もいて今後の展開が楽しみです。
そうそう。2年生のゼミ配属が決まりました。

会長さんからおみやをいただいて

2020年1月17日金曜日

大賞(奨励賞)受賞 ほめじょーず

みなさん、TASKってご存知ですか?

T 台東区
A 足立区、荒川区
S 墨田区
K 葛飾区

町工場など、小さくともキラリと光るものづくりの拠点が集積する東京下町の各区なのですが、これらの区でものづくりのさらなる発展を目指してTASKプロジェクトが進められています。

なんと、5区合わせると約9,100工場、23区全体の4割を超える“モノづくり”の地域なんです。

そのなかに、「TASKものづくり大賞」というものがあります。快適・安心の東京生活を提案することを目的に、TASK地域で新たに開発した製品・試作品を募集するものなのですが、「第14回TASKものづくり大賞」に我がゼミの学生が製品開発に深く関わった、(株)しまや出版のカードゲームほめじょーず」が奨励賞受賞したのです!

ほめじょーず

やるじゃん、鈴木君、大澤さん!

これが賞状です。

2020年1月1日水曜日

迎春2020

新年となりました。
この研究室ブログをご覧いただいている皆さまにとって良いお年となるよう祈念しております。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

除夜の鐘が尽きるのも待たずに飛び込んできたのは、前任校時代に親交のあった中国からの留学生のメッセージでした。学部卒業後は進学を希望していたので、行く先を心配していたのですが、努力家のこの学生は、苦難の道を切り開いて国立大学へと進学し、この春から日本企業で就職することになりました・・・という近況報告を含めての新年のご挨拶でした。

縁起だな、と思うのです。

昨年末の台湾の学会を終えて、改めて自分の中国語の力を高めたいと思っていた矢先でした。琉球・沖縄研究からその先を考え続けて、台湾へ行き、東南アジアとの接点が見えると同時に客家とのつながりも視界に入ってきているのです。

世界のつながりを感じさせる出来事でした。新たな世界への扉は、別のステージに用意されているのではなく、このステージにおいて足場を固めて自ら創っていくものであることを確信できる、意義あるメッセージ、特定の個人からではなく天が与えてくれたメッセージのように感じています。

Kさん、メッセージをありがとう。
新しい年を迎えて、あらためて人のつながりの妙を噛みしめております。

この学生ホールでよく勉強している努力家の学生でした