2019年5月5日日曜日

建築に夢を見た

公務員試験・技術職(建築)のための講義収録を進めています。

前回まで「環境工学・建築設備」という領域だったのですが、今回からは「計画系」ということで、いやー喋り倒しました。楽しい、というか泣けます。

収録講義室は独房のようなスタジオで延々独り言を言うに等しいのですが、だからといって棒読みでは聞き手に伝わりません。これまで獲得してきたレトリックのすべてを駆使しながら刺さる言葉を選んで、時間を縦糸に、言葉と論理を横糸にして、劇的に紡いでいくのです。それは、あるときには落語のように、独白劇のように、あるいは朗読会のように進行します。

ときに、琴線に触れる言葉、たとえば、同潤会、コルビュジェと前川國男の関わり、安藤忠雄の住吉の長屋、若き日に追いかけたそれぞれの言葉を自分の舌に載せるとき、感極まるときがあります。

今日の大事。
コルビュジェは「住宅は住むための機械」と言いました。なんて挑戦的な言葉でしょうか。その勇気に惚れ惚れします。
コルビュジェの大向こうを張って、私は収録で、未来の技術官僚たちにこう語りかけました。「住宅は生存権の具現化としての福祉である」と。貧しいのだから雨露しのげるだけのこの程度の住宅、という発想はやめましょうと。公営住宅のコレクティヴ・ハウジング化などの夢を。やがて未来の技術官僚たちはその夢を具体化させる力を持つのですし、実際、阪神・淡路以降、自治体は奮闘していますし。

かつて安藤忠雄氏がそう述べたように、今日、私は建築に再び夢を見たのだと思います。

やっぱり、デザインが好きなんだろうな・・・そして、そのデザインに人の息づかいを感じると狂おしいほどの感情の高まりを覚えるのです。その熱、いまはコミュニティ・デザインに使っています。

収録のあとには必ず蕎麦
噺家かよ