2019年5月31日金曜日

ソ ソ ソクラテスかプラトンか

タイトルがおわかりになった昭和世代の方、お疲れさまです笑
私たちの若き日に明治生まれを見つめていたように令和生まれの子たちは私たちを見るのでしょうね。





野坂昭如氏のCM、懐かしいですね。
今日から数回にわたって政治学を講じるのですが、テキストに軽く不満アリです。

なぜプラトンから始めないんだよと。

政治哲学あっての政治学だと思うのですけれどね。
社会学的、心理学的な方法を用いて、どうにかして「科学」っぽくしたいのはわかるのですが、政治哲学に込められた背骨こそ政治学の核心的な部分だと思うのです。だからこそJ.ロールズは『正義論』を書くのであって。

政治哲学の効用は、さまざまなモノの見方や価値観を知ることにより、自分の頭の中にある思考のスイッチを増やすことにあるように思います。これは何だろう?この人は何を言っているのだろう?ということに直面したときに、スイッチを切り替えて、この人はこうした考えに基づいてモノを言っているのか、言おうとするのか、言うのであろうということを推し量ることができるようになります。

若いのにただ1つの考えに凝り固まっている方を少なからず見かけます

多様な価値観を知らないまま、学ばないまま、20歳代半ばくらいに至ってしまうと、自分の人生も単線でしかデザインできなくなり、結局は袋小路に追い込まれたり、どう考えてもリスクのある選択をせざるを得ないようになったりすることがよく見られます。

つい最近もそうした例を見ました。

カウンターとして多様な価値観に触れる機会を増やすしかないのですが、そういう状況に陥ってしまうと、ますます同質性のある人間関係やコミュニティへと傾倒し、救いようのないスパイラルな悪循環が生じがちです。

私が大学で行っている地域連携の目的の1つは、学生を多様な他者と接触させることによって上記のような状況を破壊することにあります。そのなかで経験したことが、学生にとって、J.ハーバーマスのいう「公共圏」とはこうした状況を言うのか!という気づきや、M.サンデルがロールズの見解をなぜ「負荷なき自己」と批判したのか理解できることにつながります。机上の学びを社会的実践のなかで補強していくことをコツコツと続けています。

だからこそ、将来の為政者を志す公共キャリア志望者へのセミナーではまず政治思想から教えたいと思うのです。

講義で野坂氏のように唄ってみようかな♪