2019年6月1日土曜日

情報のバイアスによる判断の誤り

同僚教員から、トルコ・リラへの投資を考えているのだが、と相談を受けました。

私はトルコの専門家でも何でもありませんが、常識的な地政学的リスクを考え、またエルドアンのトルコを危なっかしく見ていたので「やめたほうがいいんじゃないですか」と答えました。トルコにいるかつての教え子に連絡を取ることも考えましたが、投資話はそこまで本気ではないだろうと思って、放り出したままにしておきました。

そうすると、案の定というか、トルコがロシア製兵器購入を巡ってアメリカと深刻な対立にあるとの報道が入りました。おそらく現地では皮膚感覚としてキャッチできる情報なのでしょうが、遠く離れた極東の島国ではわからないですよね。たくさんのトルコ情報を集めすぎ、同僚は判断不能に陥ってしまったようです。

こうした情報のバイアスに陥ると誤った投資判断をしてしまいがちですね。私も最近、それに似た経験をしました。私の場合は偏った情報を与えられたことによる判断ミスですが。地域連携の現場ではいろいろな話が持ち込まれます。

それはこんなケースでした。
将来的に地元に帰って子どもたちの居場所をつくりたい、今は演劇などに打ち込んでいるが、そうしたパフォーマンスを子どもたちの居場所づくりに活かしたい…いかにも私の専門とするところに近いわけで、これは応援してあげなければとの思いが募りました。

ところが実際には、それとはまったく方向性の異なる活動をされていて、たとえば子どもの居場所を作ろうにも、保護者としては任せることができないようなことにも手を出していらっしゃる。となると、なかなか難しいですね。キャリアには準備が必要ですし、信用もまた資産ですから。

情報にバイアスがかかっていることを早々に把握したから良かったものの、このままいったら関わりある人々に大変なご迷惑をかけてしまいかねないところでした。

私からそのことを問われて、自分のしたいようにすることがいけないのかという旨のご返答をいただきましたが、自分のしたいようにする、なりたい自分に自分を近づけることは素晴らしいと思います。

一方で人は社会的生物ですから、さまざまな人と関わりを持ちながら生きています。

その関わりにネガティヴな影響を及ぼすのであれば、その自己実現の手法については「難あり」の可能性があり、強行するならせっかく築いたこれまでのつながりが損なわれるかもしれません。

顧みて、研究室の4年生たちは、さまざまな葛藤のなかで「社会の中の自己」に目覚め、遅まきながら就活を頑張っています。ひとりはコンクリートのビルの中で仕事をするよりも森の中で生きることを望む学生であり、もうひとりは現代日本の就職活動に根本的な疑問を持って自分らしいあり方を模索している学生です。

彼らが「自分がしたいようにする」ならば就活はしなかったでしょう。

しかし、社会やその他の人々に連なる自己を考えたとき、それから自分に求められることと、可能な限り自分らしい自分であることとの間のバランスを上手に取ることができたのだと思います。このうち一人は、先週、内定をいただいてきました。今週はそのお祝いの会(森下主催、何食べたい?竜ちゃん)があり、まだ内定を取れていない学生も福を移し分けてもらうために参加してくれるようです。

まことに教員冥利に尽きる日々を送らせてくれる学生たちに感謝しています。