2019年6月19日水曜日

教員の仕事の持つ演劇性について

あまり告白したくないのですが…笑
文章に関する講義を担当しています。いわゆる初年次教育です。

論文書きですから、まあまあ文章にはうるさい方なんでしょうけど。この科目の履修者対象のアンケートが自分の専門科目以上に好評なのはどうかと思います。でもとても嬉しいことですね。

自由記述欄いわく、
・解説がわかりやすいです。
・授業が面白かった。
・先生がユーモアのある人で授業が面白い。
・一般知識として役立つ。
・時間に余裕をもって丁寧に優しく説明してくれるのでありがたいです。
・心理学には関係ないかもしれないけれど将来すごく役立つ内容でいいなと思う。

うーむ、素晴らしい。誰の講義だと首をひねりたくなりますね。
しかし、ここで慢心は禁物。もっと良い講義の方法があるはずと毎年探しています。

でも最も肝心なことは履修者の反応を見て内容を決定することなんですよね。

場が冷えたら温める、冷え込みすぎたら沸かせる、熱しすぎたら冷ます、圧したら引く、引いたら押す、こみいった話をしたらくだけた話を織り込む。

その場を感じ取って言葉を選び、履修者の感受性に合わせてそれを放ち、板書やスライドの文字と効果的に組み合わせて、全身で表現することこそが講義(授業)の要諦です。

日本語を表現するという講義だからこそ、それを縦横無尽にできるのかもしれませんね。
専門科目だと「教えなければならないこと」にこだわりすぎてしまうのでしょうかね。

今日の講義では、ウチの猫が偶然スライドに映ってしまい、保護したいきさつから、猫とのコミュニケーション、動物愛護法、肉食の環境負荷、猫好きの漱石の話にまで及んでしまいました。漱石門下の寺田寅彦の話につなげたいという意図もあったのですが、まあ履修者すなわち聴衆がいま関知したいものに沿って、こちらの渡したいものを提供する「流れ」以外の何物でもないですね。最終的に、寺田寅彦の随筆を読んでそれを要約するという課題で答案を提出させたのですが、猫がスライドに映ったのは偶然なのか計画なのかはヒ・ミ・ツです。

教員は<演者、易者、医者>でなければならないと恩師に教わりましたが、教員の仕事の演劇性はそのあたりにあるような気がします。

だからといっては何ですが、演者なのに「流れ」(文脈と言い換えてもいいかな)がわからなかったり、相手の言葉や場を感じ取ることのできない柔軟さに欠ける何かを見ると……WOOMな気持ちになってしまうのです。

ゴフマンは我がパフォーマンスに
示唆を与え続けてくれています