沖縄戦で斃れたすべての御霊のご冥福をお祈りいたします。
沖縄におけるコミュニティ研究で、中南部集落における一家全滅率の高さ(南に行けば行くほど)に驚いたことがあります。
軍はほんとうに民衆を守るのか。
僕の中に根本的な疑問が芽生えていったのはその頃のことです。
6月23日は旧日本軍が組織的な戦闘を終えた日に過ぎず(牛島司令官の自決)、それとは別に、首里から潰走して南下する過程でさまざまな悲劇が生じたことは多くの記録の示すところです。降伏文書の署名は9月7日ですから、その間に起きたことも含めなければならないということで、慰霊の日を6月23日することについては異論も提起されています。このことは銘記するべきでしょう。
教科書やプロパガンダが沖縄戦の実相を歪めたとしても、長寿県沖縄ではおじい・おばあから口伝で直接聞けるんですね。
あのとき、どうだったのかと。
フィールドワークで調査対象についてインタビューをしていても、ヤマトンチュ(内地人)に対して溢れる思いがあるのでしょうね、いつしか話は沖縄戦に及ぶことがほとんどでした。子や孫にも多くのことが伝えられているでしょう。
そうした人びとの衆人環視の中で内閣総理大臣は言葉を発するわけですが…
命(ぬち)どぅ宝<命こそ宝> この言葉の重みを知れ